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評価 ★★★

ジャズ・シンガー
THE JAZZ SINGER

米 1927年 89分
監督 
アラン・クロスランド
出演 アル・ジョルソン
   メイ・マカヴォイ


 云わずと知れた初のトーキー映画である。

 映画に音をつけるという試みは、既にエジソンのキネトスコープの頃から行われていた。問題は映像と音がうまく同調しないということだ。だから、音楽やナレーションを流すに留まり、銀幕上の人物が話すことはなかったのだ。
 そこで開発されたのがヴァイタフォンである。出資していたワーナー・ブラザーズは、1926年にまず音楽だけを同調させた『ドン・ファン』を、そして翌27年に台詞と歌を同調させた『ジャズ・シンガー』を発表した。
 但し、『ジャズ・シンガー』はあくまで「パート・トーキー(部分的なトーキー)」で、「オール・トーキー」は翌年の『紐育の灯』まで待たなければならない。

 なお、ヴァイタフォンはフィルムとレコードを同調させるシステムだったので、どうしても微妙なズレが生じてしまう。また、レコードも痛みやすく、20回程度の再生で音質が劣化したという。そのためにフォックスが開発したサウンド・オン・フィルム・システムが主流となり、今日に至っている。


 ところで、手元にある『アサヒグラフ/ハリウッド1920ー1985』には、奥出直人氏によるこのような興味深い記述がある。

「エジソンが1889年に完成したキネトスコープは主に歓楽街に備え付けられた。映画はアメリカにやってきたばかりの、英語もろくにしゃべれない移民労働者たちの低俗な娯楽の一つとして考えられていた。当時のアメリカ社会のエリートであったWASPブルジョアジーたちは、こうした移民歓楽街の一掃を社会改革の重大な目標と考えた。彼らは移民に英語のみならず『倹約・勤勉』の美徳を教育することを考えていた。移民を『正しい』アメリカ人に教育して、アメリカ社会の主流へと同化させる、この目標達成のために注目されたのが映画だった。なぜなら言葉を必要としないこの新しいメディアは、いまだ英語を解さない移民にWASPブルジョアジーの道徳観を直接伝授する格好の教育手段であると判断されたからである」

 だから、当時の映画人はトーキーの開発にあまり熱心ではなかったと奥出氏は指摘している。つまり、当時の映画には言葉は必要なかったのだ。

「改革者たちは検閲機構を組織して『正しいアメリカ映画』にお墨付きを与えていった。この制度によって映画は低級娯楽としてのスティグマ(刻印)を払拭して、WASPブルジョアジーの観客をも獲得するに至った」

 検閲機構が組織された経緯を知っている私としては、やや強引な論調のようにも思えるが、大衆の娯楽とされていた映画が、次第に風格を求め始めたのは事実である。その顕著な例が「アメリカ映画の父」とされるD・W・グリフィスだ。奥出氏もそのことを指摘している。

「こうした改革的教育映画作りの代表がD・W・グリフィスであった。多くの短編映画を撮った後、彼は長尺映画『国民の創生』を製作する。扇情的な人種差別のシンボリズムを秀逸なテクニックで劇的に処理することによってアングロ・サクソン人による純粋なアメリカ共和国を創り出そうとするこの映画は興行的に大成功する。だが、観客はグリフィスの改革のメッセージではなく、劇的な感情を喚起してくれる彼の映画のしかけに魅惑されていった。スクリーンの前に座っている人々の間にブルジョアジーと移民労働者の区別はなかった。彼らは平等に映画を楽しんでいたのである」

 そして、映画を純粋に、今以上に楽しむためにトーキーが開発されたのだ。ようやく映画にも言葉が必要とされるようになったのだ。
 ちょっとイイ話である。


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