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評価 ★★★

地獄の天使
HELL'S ANGELS

米 1930年 89分
製作 ハワード・ヒューズ
監督 ハワード・ヒューズ
出演 ベン・ライオン
   ジェームズ・ホール
   ジーン・ハーロウ
   ジョン・ダーロウ


 オーソン・ウェルズは『フェイク』の中で、ハワード・ヒューズにまつわるこのような都市伝説を紹介している。
「私が最後にヒューズに会ったのはハリウッドでした。もう25年も前のことです。その頃の彼は陽気で紳士的でした。
 彼が住んでいたホテルのバンガローは、側近たちの本部だと噂されていました。我々はそこを『ヒューズの秘密警察』と呼んだものです。
 バンガローの前にある木にもいわくがあります。毎日午前1時30分になると、側近の一人がきちんと包装された小さな包みを、その木の枝に置いていたというのです。同じ角度で、正確に。ヒューズが夜の散歩中にそこに姿をみせたことは一度もありません。しかし、それはいつも、その時に備えて置かれていました。謎の包みの中身は何だったのか?。それは、ハムサンドでした」

 かような噂が出回るほどの奇人変人、ハワード・ヒューズが最初に頭角を現したのが、この『地獄の天使』である。それは採算を度外視した、金持ちの道楽と揶揄されても仕方がない代物だった。

 16歳の時に母を、18歳の時に父を失ったハワード・ヒューズは、90万ドルもの莫大な遺産を持て余していた。それを映画につぎ込み始めたのは20歳になってからだ。製作第1作の『Swell Hogan』は出来が悪くてオクラ入りしたものの、3作目の『美人国二人行脚』は評価された。監督のルイス・マイルストンは第1回アカデミー賞喜劇監督賞という栄誉を授かった。
 ところが、ヒューズは不満だった。『つばさ』が作品賞を獲ったことに納得できなかったのだ。
「おれならもっとすごい飛行機の映画を作れるぜ」
 道楽で飛行機を乗り回していたヒューズには自信があった。飛行機を最も理解しているのは俺だという自負もあった。

 まずヒューズがしたことは、本物の戦闘機を買い漁ることだった。アメリカイギリスフランスドイツ締めて87機、お値段は50万ドル也。パイロットには実戦の経験者を雇い入れ、ツェッペリン飛行船によるロンドンの空襲シーンでは、特撮だけで46万ドルも費やした。それだけで普通の映画が10本でも20本でもできる金額である。

 監督として雇われたのは、脚本も担当したマーシャル・ニーランだった。ところが、ヒューズからの度重なる口出しに腹を立てて降板。後釜のルーサー・リードも途中で逃げ出し、結局、ヒューズ自らが監督することとなった。このことが映画の完成を大きく遅らせることになる。途中でヒューズが負傷してしまったからだ。
 事の発端は、ヒューズの無茶苦茶な指示だった。
「次のシーンでは、高度1500フィートから急降下してくれたまえ」
 パイロットはこれを拒絶した。
「あんた、正気かい?。失速するぜ」
「腕がよければ大丈夫だ」
「腕がよくても無理なものは無理だ」
「不可能じゃない」
「なら、あんたがやってみろよ」
「よおし、やってやろう」
 颯爽とトーマスモース偵察機に乗り込む我らがハワード・ヒューズ。
 ヒュー。ドスン。
 ほおら、云わんこっちゃない。失速したヒューズは地面に激突。頬骨を砕く重傷を負う。
 それでもヒューズはラッキーだったというべきだろう。なにしろ、この映画では既に3人のパイロットが命を落としているのだ。

 ヒューズが治療を受けている間に無声映画は
終止符を打ち、時代はトーキーに移り変わっていた。このままでは時代遅れだ。少なくとも空中戦以外の会話がある部分は撮り直さなければならなかった。
 ところが、ここで一つ問題が生じる。ヒロインのグレタ・ニッセンはノルウェー訛りがひどくて使えなかったのだ。そこで新たにヒロインに抜擢されたのが、まだ新人のジーン・ハーロウ。彼女はこの1本でスター女優の仲間入りを果たした。
 なお、ヒューズに代わってトーキー部分を監督したのは、『フランケンシュタイン』でお馴染みのジェームズ・ホエール。トーキー化の費用だけでも170万ドルも要したと云われている。

 結局、3年の歳月と420万ドルもの巨費を投じた超大作「地獄の天使』は大当たりした。しかし、元はまったく取れなかった。当り前である。金をかけ過ぎである。たしかに、空中戦の部分はよく出来てはいる。しかし、国家予算並みの資金を投じるほどのものであったかは甚だ疑問である。


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