以前から「首を斬るのが好きな監督さんだなあ」と思っていたが、今回は首斬り祭りだ。犠牲者のほぼ全員が首を斬られる。オープニングもギロチンの人形劇で、犯行の動機も過去の忌わしき首斬り事件。終いにゃ犯人までもが首を斬られる。首斬りに始まり、首斬りに終わる。トラウマを抱えているのは他ならぬ監督自身ではないかと心配になる。
アルジェントはこのたび、こんなものを発明した。
これを首にかけ、スイッチを押すと電動機が針金を巻取り、首を切断するのである。まったく物騒な発明である。
ところが、ブラッド・ドゥーリフの首を切断しようとした時に、針金が彼のネックレスに絡まって電動機がショートしてしまう。仕方がないのでエレベーターまで引きずって、昇降路に頭だけ突っ込み、下りボタンを押すことで切断する(左写真下)。自作『サスペリア2』のパロディ的なシーンであるが、興味深いのは首を切断されてもドゥーリフにはまだ意識があり、
「うわぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁッ」
と絶叫しながら昇降路を落下していくのである。
首を斬られて間もない被害者が主人公にヒントを告げるシーンもある(左写真上)。これは「首を切断されてもしばらくは意識がある」という観察記録に基づくものであろう。最も有名なのはジャン=ポール・マラーの暗殺犯、シャルロット・コルデーに関する記録である。ギロチンで処刑されてしばらく経った頭部の頬を執行吏が殴ると、その顔は怒りの表情を示したという(註1)。してみれば、オープニングでのギロチンの人形劇はコルデーの処刑風景であったのか?。
いずれにしても、アルジェントが「切断された首には意識があるのか?」という問題に尋常ならぬ興味を抱いていることだけは確かである。
註1:マルタン・モネスティエ著『死刑全書』(原書房)より。
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