この映画、推理劇としてはかなりアンフェアである。そのアンフェアぶりはクリスティの『アクロイド殺し』に匹敵する。
(『アクロイド殺し』は物語の語り手である主人公が犯人で、発表当時は推理小説論争にまで発展した)
アメリカから新作のプロモーションにローマにやってきた小説家が主人公。彼がやってくるや否や、その新作『シャドー』を模倣した殺人事件が頻発する。犯人は『シャドー』に過剰に反応した書評家に思われたが、その彼も殺されてしまって、観客が呆然としている時に主人公がかく宣う。
「消去法で残ったものは、例え信じ難くとも真実だ」
コナン・ドイルの『パスカヴィル家の犬』からの引用だそうだが、この映画もその道を辿る。消去法で残った犯人は、なんと、主人公自身だったのだ!。
要するに、犯人が二人いたのである。
前半の殺人は書評家の仕業。後半の殺人は事件に便乗した主人公の仕業。「これはいい機会だ」とばかりに、浮気する妻とその愛人を抹殺する。
しかし、犯行が露見して、刑事の前でカミソリで首を斬り自殺。
これで終わりかと思ったら、そのカミソリは本物ではなく、血のりの出る縁日のオモチャ。こんなものを持っているとは用意周到な主人公だ。
で、騙された刑事=ジュリアーノ・ジェンマを斧で叩き殺した後、主人公は勝手にズッこけて事故死。
結局、監督のカミさん=ダリア・ニコロディを除いて、すべての登場人物が死んで終わる。
初めて観た時は、あまりのことに開いた口が塞がらなかった。
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