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血を吸うカメラ
PEEPING TOM

英 1960年 102分
製作 マイケル・パウエル
監督 マイケル・パウエル
脚本 レオ・マークス
出演 カール・ベーム
   アンナ・マッセイ
   モイラ・シアラー


 この映画を初めて観たのが東京12チャンネルの午前中の映画枠。浅草のれん街が提供のやつである。タイトルから吸血鬼映画かと思ったがさにあらず。奇妙な連続殺人鬼の物語だった。

 映画スタジオの撮影助手、マークは趣味でドキュメンタリーを撮っている。テーマは「恐怖」。カメラの先端にナイフを取りつけ、恐怖におののく女性の断末魔の表情を撮影しながら殺害していたのだ。やがて、警察に追われたマークはカメラを自分に向ける。そして、己れの断末魔の表情を撮影しながら息絶えるのであった。

 当時小学校低学年の私には、この映画の趣旨がさっぱり判らなかった。そもそも変態殺人自体が理解できなかったし、東京12チャンネル版のズタズタ編集では判る筈もなかった。
 ただ、マイケル・パウエルという監督が『天国への階段』や『黒水仙』『赤い靴』などの文芸映画を撮った名匠だということ、しかし、『血を吸うカメラ』で批評的にも興行的にも大失敗して落ちぶれたことを、しばらくして本で読んで知ったのだった。


『血を吸うカメラ』はそれほど酷い作品だろうか?。ほぼ同時期に製作されたヒッチコックの『サイコ』との対比から考察してみよう。
 両作品はそれまでタブーだった変態殺人を扱ったという点で共通している。しかし、『サイコ』はあくまで被害者側から描いた犯人探しのミステリーだったのに対して、『血を吸うカメラ』は犯人側から描いた症例見本のような作品であった。つまり、『サイコ』はテーマこそ斬新だが、その構造は古典的スリラーだったのに対して、『血を吸うカメラ』はその構造自体が斬新だったのだ。このあたりが評価が分かれた原因だろう。
 さらに、ヒッチコックは映画のラストで、不可解な事件の謎解きを心理学者の口から説明してみせた。このためにトーンダウンしたことは否めないが、大衆映画を撮ってきたヒッチコックは「観客の納得」が不可欠と判断したのだろう。これに対してパウエルは、直接的な説明は一切排除した。そのために観客のフラストレーションは残ることになる。今観た映画はいったい何だったんのだろう?。この点については、正直云って、私も明確な答えを出せないでいる。


 マークは何故に女を殺し、その恐怖に脅える様をフィルムに収めたのだろうか?。
 その説明らしきシーンはあることはある。マークに好意を寄せる近所の娘に、彼は自身の幼年期のフィルムを見せる。撮影者は父。しかし、ほのぼのしたものではなく、眠るマークにトカゲを投げつけ、恐怖のあまり泣き叫ぶ様を撮影したものだった。娘は驚いて質問する。
「どうしてこんなことをしたの!?」
「父は心理学者だった。恐怖が神経系にもたらす影響を実験していたんだ」
 つまり、彼は父の実験動物であり、そのためにこんな人格になってしまったのだというのである。しかし、私には「恐怖実験」の被験者が冷酷な殺人鬼へと成長する因果関係が理解できない。

 むしろ、彼の犯行の動機は、原題である「ピーピング・トム=窃視症」に求められるべきだろう。
 カメラで撮影するという行為は究極の窃視である。後に覗き見た映像をリピートすることができるからだ。その行為に興奮した青年が次第にエスカレートし、遂には人間の死について興味を持つようになった、と説明する方がしっくりくる。
 しかし、これだけでは、彼が自らの死までも記録しようとしたことを説明できない。結局、この部分を補完するのが「恐怖実験」なのだろうが、それにしても、随分と無理がある。
 結局、こうした「わけのわからなさ」が本作の魅力なのだろう。本作は大衆レベルでは失敗作だが、マーティン・スコセッシやブライアン・デ・パルマを始め、多くの映画監督に影響を与えたカルト・ムービーであることだけは確かである。


 

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