ディレンジド 米 1974年 84分 |
エド・ゲインの事件は、当初は大々的に報じられなかったらしい。小説家ロバート・ブロックはこのように述懐する。 「片田舎で起きた反道徳的な事件を新聞は大袈裟に扱おうとしていなかったから、断片的な事実しか載っていませんでした。私に判ったのは、ある男が地元の金物店の女店主を殺害した後で逮捕され、その女店主は犯人の農場ではらわたを抜いた鹿のように吊るされていたということだけでした。そのうちに、警察は他の『特定できない』証拠も発見したので、犯人が以前にも犯行を犯し、いくつか墓場もあばいていたらしいって判ってきたんです」 ブロックの眼には、近隣の住人たちが口裏を合わせたかのように口をつぐむのが奇妙に思えた。そこで「こいつは小説の題材になるぞ」と想像を巡らせた。 「私の中では、このキャラクターは、ひとりぼっちで暮らして、まるで世捨て人のような、当時でいえばロッド・スタイガーのような人物でした。そして、モーテルの経営者にすることにしました。知らない人に簡単に近づけますからね。でも、これだけでは犯行が発覚しない理由としては弱いでしょう。そこで、もうひとりの自分がむくむくと顔を出して、彼が記憶喪失の夢遊状態で犯行を重ねているとしたらどうだろうって思いついたんですよ.....。 かくして執筆されたのが『サイコ』である。ここで驚くべきなのは、ブロックは事件の詳細を知らないままに、その本質を見抜いていた、ということである。『サイコ』を執筆中のブロックは、ゲインが母親を剥製にしていたことなど知らなかったのである。 「小説では、ノーマン・ベイツは犯罪を犯す時はいつでもカツラとドレスで母親になりすます女装趣味の男にしたんです。実際の犯人もそうだと知ってビックリしましたよ。彼には母親の乳房や皮膚を身につけていたふしがあります。 それは、レクター博士を逮捕したグレアム捜査官がFBIを辞めたのとよく似ている。グレアムが己れの中にレクターを見つけてしまったのと同様に、ブロックも己れの中にゲインを見つけてしまったのである。これはかなり深刻だ。なにしろゲインは屍姦からカニバリズムに至るまで、なんでもありの鬼畜(知恵遅れだから出来た)だったからである。 そのエド・ゲインの事件を「忠実」に再現したのが本作である。しかし、ゲインが好んだのは母親似のデブったおばちゃんである。左写真のようなおねえちゃんではない。だから、本当は「忠実」ではない。 参考文献:スティーブン・レベロ著『アルフレッド・ヒッチコック&ザ・メイキング・オブ・サイコ』(白夜書房) |