ダリオ・アルジェントの監督2作目であるが、前作『歓びの毒牙』よりも地味な印象を受ける。
たしかに、殺戮シーンともなれば本領を発揮し、左写真のような「ガボチョン」という音が聞こえてきそうなエグい描写を見せてくれる。しかし、全体の印象は「ふつ〜」である。
よって、最低映画館的にはほとんど書くべきことがない。仕方がないので、この映画で連続殺人の動機となっている遺伝子に関する事柄に触れて、お茶を濁してしまおう。
この映画の舞台は遺伝子の研究所である。そして、以下のような発見をした。
「人間の染色体はXとYで構成されている。ほとんどはXとYが対になっているが、稀に一つのXに二つのYが結びついている場合がある。そして、囚人の遺伝子を調査した結果、殺人者から極めて高い割合でこのXYYが見つかった」
つまり、染色体がXYYである者は生来的に殺人を犯す可能性が高いので、この者どもを隔離すれば殺人の抑止になるというのである。
そして、この映画の犯人は、己れがXYYであることを隠蔽するために殺人を重ねるのであるが、愚行であったと云わざるを得ない。そのような学説が主流になるとは思えないからである。
生来的犯罪者説を初めて唱えたのはチェザーレ・ロンブローゾであった。ダーウィンの『種の起源』に感銘を受けた彼は、これを犯罪学の分野に応用できないものかと思案、囚人の身体的特徴を調べ上げ、その成果を著書『犯罪者』で発表した。1876年のことである。
彼が「生来的犯罪者の身体的特徴」として挙げたのは「後頭部の陥没」「小さい頭蓋骨」「異様に大きい親知らず」「発達しすぎている顎」「長すぎる手」などで、要するに原始人の特徴である。これをダーウィンのいう「隔世遺伝」、つまり「原始人への先祖返り」だとし、ぶっちゃけた話が「そんなヤツは生まれつき危ねえ」としたのである。
このような学説が生まれた背景には、累犯者の激増がある。産業革命により貧富の差が拡大し、いくら罰則を強化しても累犯者が一向に減らない。そこで、従来の刑罰論ではアカンのではないか、こいつらには罰則など馬の耳に念仏だから、予め隔離しちまえ、というわけなのである。
今日の我々からすれば無茶な話であり、また、当時の人々も無茶だと思った。ロンブローゾの支持者もいたことはいたが、主流になることはなかった。そして、ナチスの優生学政策が明るみになった今、身体的特徴から人を判断することはあってはならないこととされている。
というわけで、映画の中での学説は、ロンブローゾの遺伝子版である。これが主流になるとは到底思えないのである。
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