東京市神田区鍋町在住、藤井吉五郎の妻おやす(35)は、染物師の小島弥太郎(41)と不義密通を重ねた上、共謀して夫吉五郎を殺害するに至った。明治40年(1907年)のことである。
この事件が面白いのはここからだ。往生際の悪いおやすは、裁判において苦し紛れにこのように弁明したというのだ。
「自分は前世、吉原の芸者で八重吉と名乗り、
弥太郎は宮本定右衛門という侍で、夫婦の契りありしものにて、現世で吉五郎と夫婦として同棲することは、いわゆる前世の約束にたがうことで姦通なれば、これを殺害するも何ら天罰を受けざるのみか、むしろ当然のことなりとの神のお告げにより、この挙に及びたり」
うわあ。「前世」に「神のお告げ」と来たよ。こりゃあモノホンのキ印だ。
否。キ印を装っているだけやも知れぬ。この弁明が通らぬと悟るや、今度は「吉五郎の幽霊」を法廷に引っ張り出して来たからだ。
「吉五郎が自分の背中にいる故、ひとたび打ってくれ」
云われるままに廷吏が背中をどやすと、
「それくらいではなかなか去らず。もっと強く」
今度は弁護人が思いっきり拳で殴ると、
「逃げて行ったわい」
ってな具合でいやはやなんともだ。少しも悪怯れるところがないことから、風紀紊乱の虞れがあるとして裁判の公開が禁止されたという。然もありなん。
(2009年6月3日/岸田裁月) |