1986年5月16日、ワイオミング州の小さな町、コークヴィルでトンデモない事件が勃発した。小学校の生徒154人と13人の教師が人質に取られて、1人につき2万ドルの身代金が合衆国政府に対して要求されたのである。
主犯のデヴィッド・ヤング(43)は7年前、この小さな町で警官として勤務していた。ところが、4歳年上の既婚女性、ドリスとのダブル不倫が問題になり、結局、辞職を余儀なくされた。その後はドリスと共にアリゾナ州ツーソンに移り住んだ。
犯行当日、デヴィッド・ヤングは手製の爆弾と9挺の拳銃、4挺のライフルと共にコークヴィルに舞い戻った。
当初の予定では犯行チームは彼を含めて5名だった。妻のドリス(47)と彼女の連れ子のプリンセス(19)、そして、飲み友達のジェラルド・デップ(42)とドイル・メンデンホール(32)である。だが、単に「うまい金儲けの話があるぜ」との誘いに乗っただけのジェラルドとドイルは計画を当日に明かされてビビってしまい、俺たちは降りると云い出した。そのまま警察署に飛び込まれては計画はオジャンになってしまう。2人はバンの中で縛られて、現場のコークヴィル小学校まで連れて行かれた。
連中が小学校に到着したのは午後1時頃だった。デヴィッドは台車に載せた爆弾を押して校長室へと向かった。その右手には起爆装置が取りつけられていた。右手に繋がれた紐を引くと信管が外れて爆発する仕組みだった。
しかし、校長を脅迫した辺りでまたもやトラブルが発生した。プリンセスが良心に駆られて「こんなことはダメだよ!」と云い出したのだ。デヴィッドは彼女をビンタして、車の鍵を投げ出して云った。
「お前はここから出て行け!」
もう賽は投げられたのだ。今更止めるわけには行かないのである。
結局、前代未聞の犯行は一組の夫婦により行われることとなった。プリンセスはその後、警察署に駆け込んで事の次第を打ち明けたが、その時には既に取り返しのつかない事態になっていた。
デヴィッドは爆弾と共に、大きめの教室に陣取っていた。その間、妻のドリスは「大きなサプライズがあるわよ」などと云いながら、教師や生徒たちをその部屋に誘導していた。
やがて167人の人質が一つの部屋に集まった。デヴィッドは「ゼロ=インフィニティー」と題された犯行声明文を人質各自に配布した。しかし、その内容は支離滅裂で、デヴィッドが「基地の外」にいる人であることは明らかだった。
154人もの子供たちを制御するのは大変だったようだ。教室には絵本やテレビが運び込まれ、和ませようと必死だった。ドリスは泣きじゃくる子供たちに、このように語りかけた。
「冒険映画に出ていると思えばいいのよ」
「これで孫に伝える素敵な思い出ができたわ」
籠城から2時間半後、デヴィッドは起爆装置をドリスの右手に移してトイレへと向かった。その直後に爆弾が爆発した。どうやらドリスが右手を挙げ過ぎて、信管が外れてしまったようなのだ(この点、事件のTVM『To Save the Children』では、起爆装置に繋がれた紐が台車の車輪に挟まれて信管が外れたことになっている)。教師や子供たちは窓から逃げ出した。
慌てて教室に戻ったデヴィッドは、瀕死のドリスを射殺し、逃げ惑う教師のジョン・ミラーに発砲した後、銃口を自らのこめかみに当てて自殺した。
教師を含む79人が負傷した大事件だが、犯人以外には死者が出なかったという意味で、ラッキーな事件だったというべきであろう。
(2012年12月26日/岸田裁月)
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