トーマス・シャンクス(48)はウェスト・ヨークシャー州のポンテフラクト総合病院に勤務する麻酔専門医だった。湾岸戦争の際には特殊空挺部隊(SAS)に医師として従軍し、その「おみやげ」としてAK−47アサルトライフルを不法所持していた。
1998年春、シャンクスは3年間もつき合っていた恋人のヴィッキー・フレッチャー(21)から突然の別れを告げられた。彼女は同じ病院に勤務する看護師だった。
「ごめんなさい。他に好きな人が出来たの」
相手のデヴィッド・グリフィンは同じ病院の元患者だった。つまり、甲斐甲斐しく看護を続けているうちに心を通わせてしまったというわけだ。
最悪のフラれ方である。シャンクスが猛反発したことは云うまでもない。彼女の心を取り戻そうとあらゆることを試みるが、もはや修復は不可能だった。
同年5月8日、ヴィッキーはデヴィッドと彼の息子との3人で、キャッスルフォードのパブで夕食を摂っていた。と、そこにシャンクスからの電話があった。気分が悪いので一行は別のパブに場所を移した。すると、そこにもシャンクスが現れた。もはやストーカーと化していたのだ。ヴィッキーは彼に怒鳴りつけた。
「もうつきまとわないでよ! あなたとの関係は終わったの!」
この一言は致命的だった。シャンクスは自宅に戻るとアサルトライフルに銃弾を装填し、取って返してヴィッキーの車のそばで待機した。そして、彼女が現われるや否や15発も発砲したのである。うちの10発が命中し、彼女は2時間後に死亡した。
その日のうちに逮捕されたトーマス・シャンクスは、殺害自体は認めたが、湾岸戦争症候群ゆえに心神耗弱状態にあったとして、謀殺ではなく故殺だったと主張した。しかし、この主張は認められることなく、陪審員は謀殺罪で有罪と評決し、シャンクスには終身刑が宣告された、その際に少なくとも18年は仮釈放が認められるべきではない旨が付言されている。
(2012年12月8日/岸田裁月) |