1844年5月24日、ノッティンガム近郊コルウィックの森の中で、農夫のウィリアム・サヴィル(29)は妻のアンと3人の子供の喉を剃刀で切り裂いて殺害した。そして、剃刀をアンの右手に握らせて、無理心中を偽装したのである。彼はどうして妻子を殺さなければならなかったのだろうか?
そもそも、サヴィルはアン(旧姓ワード)との結婚を望んでいなかった。ほんの遊びのつもりだったのだ。ところが、彼女は妊娠してしまい、責任を取る形で結婚するハメになった。彼女には既に子供(非嫡出子)がいた。最悪だった。まだ20歳だというのに、いきなり2児の父親になってしまったのだ。
その後、もう1児を儲けるも、サヴィルの不満は募るばかりだった。1844年1月に家出して、やがて出会った女性に求婚する。
「僕と一緒にアメリカに移住しないか?」
祖国を捨てて逃げ出そうとしていたのだが、間もなくアンに居所を突き止められて、連れ戻されてしまった。だから、サヴィルにとって妻子は足かせ以外の何物でもなかったのだ。
遺体は3日後に発見された。隣人たちはサヴィルの家出と不倫の事実を知っている。かくして、サヴィルは妻子殺しの容疑で逮捕されて有罪となり、死刑を宣告された次第である。
サヴィルの処刑は1844年8月7日、ノッティンガムのカウンティ・ホールにて公開で執り行われたのだが、その際に大変な事故が発生した。何千人という群衆が押し合いへし合いするうちに転倒し、12人が圧死、100人以上が負傷し、うちの5人が病院で死亡したのだ。事件よりも多くの死者を出してしまったのである。なんだかなあ。
(2012年11月8日/岸田裁月)
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