1949年10月10日、ロンドン郊外において裕福なロシア系ユダヤ人、レオポルド・グッドマン(49)とエスター(47)の夫婦が殺害された。彼らは自宅のダイニングで、テレビの卓上アンテナで撲殺されていた。
その日、彼らは産院で初孫の顔を見たばかりだった。車で送迎したのは娘の夫、ダニエル・レイヴン(23)である。彼もまたユダヤ人で、ロンドンの広告代理店に勤務していた。
遺体の第一発見者は夫妻の友人、フレデリック・フレイマンだった。彼はその日の午後10時頃、妻と娘と共にグッドマン家を訪問した。初孫についての話を訊く予定だったのだ。ところが、呼び鈴を押せども返事がない。おかしいなあ、部屋の明かりは点いているのに…と窓から覗くと、血みどろの夫妻が床に倒れていたのである。
ダニエル・レイヴンのもとに警察からの呼び出しがあったのは、その30分後のことである。間もなく現場に駆けつけたレイヴンは、深夜であるにもかかわらず、パリッとしたシャツを着ていた。どうして着替える必要があったのだろうか?
不審に思った警察は早速、彼の自宅を捜索したところ、ボイラーの中で血まみれのシャツとズボンを発見した。血で汚れてしまったために、着替えざるを得なかったのだ。
法廷において、レイヴンはこのように弁明した。
「グッドマン夫妻を送り届けた後、用事を思い出した私はグッドマン家に戻りました。だけど、いくら呼び鈴を押しても返事がありません。中に入ると、夫妻は殺されていました。私は遺体につまづいて転んでしまいました。シャツもズボンも血まみれです。このままでは私が疑われると思い、警察に通報することなく自宅に逃げ帰りました」
しかし、信じる者は誰もいなかった。かくして、ダニエル・レイヴンは殺人容疑で有罪となり、死刑を宣告された。処刑されたのは1950年1月6日のことである。
なお、レイヴンは最後の最後まで犯行を認めなかったので、動機については何も判っていない。
(2012年11月4日/岸田裁月)
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