1895年生まれのミハエル・オヌフレイチクはポーランドの退役軍人である。2度の世界大戦に従軍し、いくつもの勲章を授かっている。そんな彼は戦後は駐屯地だったウェールズに定住することを望んだ。軍の基金から金を借りて、カーマーゼンシャー州ランデイロ近郊のクムデュにある小さな農場を購入した。1949年頃のことである。
1953年4月、オヌフレイチクは新たに投資して養豚場を始めた。その際にビジネス・パートナーとなったのが、やはりポーランドの退役軍人、スタニスロウ・シクート(57)である。
しかし、このビジネスはあまりうまく行かなかった。両者の関係は次第に険悪となり、遂には取っ組み合いの喧嘩にまで発展したようだ。シクートは地元のコミュニティーで不満をぶちまけている。
「もう、あんな奴と一緒に仕事をするのはコリゴリだ! パートナーシップは解消だよ!」
間もなくシクートが行方不明になった。そのことを警察に尋問されたオヌフレイチクは、
「ああ、あいつなら今、ロンドンに出掛けているんです」
ところが、いつまで経っても帰って来ない。再び尋問すると、
「結局、ロンドン経由で祖国に帰りました」
はあ? そんなこと、あり得ないだろう。彼はこの養豚場にかなりの金額を投資しているのだ。それを回収せずに帰国する筈がない。そのことを問いただされると、オヌフレイチクは供述を変えた。
「実は、あいつはちょっと訳ありの男でしてね、ポーランドの秘密警察に拉致されたんですよ」
とても信じられる話ではない。こいつは怪しいということで家宅捜索をしたところ、台所の壁や天井から2000以上の血しぶきの痕が発見された。何者かがここで切り刻まれたことは間違いない。しかし、シクートの遺体は遂に発見されなかった。
おそらく、豚に食べさせてしまったのだろう。
かくして、死体不在のまま殺人容疑で起訴された「クムデュの肉屋」ことミハエル・オヌフレイチクは、12日間に及ぶ審理の末に有罪となり、死刑を宣告された。1954年12月のことである。
但し、翌年1月に終身刑に減刑されて、10年後の1965年に仮釈放された。その後も一貫して無罪を主張していたようだが、翌年に交通事故で死亡している。
(2012年10月30日/岸田裁月)
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