ヨン・フィリップ・ノードルンド
惨劇の舞台になったフェリーボート
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ヨン・フィリップ・ノードルンドは1875年3月23日、スウェーデン中部のファールンで生まれた。12歳の時に家出し、製材所で大人に混じって働いていたが、間もなく小切手を偽造したのがバレて解雇される。
初めて逮捕されたのは16歳の時だ。容疑は牛泥棒だった。そして、同じ年に侵入窃盗容疑で逮捕され、3年の刑を云い渡された。
釈放後、20歳の時に再び窃盗容疑で逮捕され、3年の刑が云い渡された。刑務所の中での素行は悪く、傷害事件を起こして4年の刑が追加された。
1900年4月20日、ノードルンドは仮釈放された。この時、彼は既に次の犯行を企んでいたという。
「フェリーボートを乗っ取り、乗員乗客を皆殺しにして財産を奪う。その後はボートに火を放ち、証拠を隠滅する」
余りにも大それた犯行である。マトモな人間ならば、まず思いつかないだろう。ところが、この男は思いついてしまったのだ。そして、間もなく実行に移したのである。
同年5月16日、ノードルンドはアルボガでストックホルム行きの小型フェリーボート「プリンス・カール号」に乗り込んだ。鞄には2挺の拳銃といくつものナイフが収められていた。そして、その晩に船長を含む5人(うちの1人は老婆)を殺害し、8人に重傷を負わせたのだ。
彼の計画は半ばに終わった。皆殺しに出来なかったばかりか、ボートに火を放てなかったのだ。犯行時に近くを別のフェリーが通りかかったのがその原因である。中途半端で逃亡せざるを得なかったのだ。
救命艇で岸辺に辿り着いたノードルンドは、翌日にエスキルストゥーナ駅で逮捕された。その際に彼はこのように語ったと伝えられている。
「ここで逮捕されてよかったよ。もし列車に乗っていたら、もっと殺していたかも知れない」
かくして死刑を宣告されたノードルンドは、1900年12月10日に斬首された。彼は5人を殺害したことを全く後悔していなかった。むしろ全員を殺せなかったことを後悔していたのである。
証拠を残してしまった、と。
(2012年12月2日/岸田裁月) |