フレデリック・ノッダー(46)がニューアークに移住し、ティンズリー家の下宿人になったのは1935年のことである。酒癖が悪く、そのために職場の同僚からは嫌われていたが、下宿先の子供たちからは「フレッドおじさん」と呼ばれて親しまれていた。
やがて解雇されたノッダーは、職を求めてレットフォードに移住した。そして、その1年後にティンズリー家に災いが齎されることになる。
1937年1月5日、モナ・ティンズリー(10)が学校からの帰宅途中に行方不明になった。彼女はバス停留所で「フレッドおじさん」と思しき人物と一緒にいたところを目撃されていた。また、レットフォードでも彼がモナらしき少女を連れていたことが目撃されている。
尋問されたノッダーはこのように弁明した。
「バス停でたまたまモナに出会ったのです。あの子は私に訊ねました。『シェフィールドにいる叔父さんの家に行きたいんだけど、どのバスに乗ればいいのかな?』。私はただバスを教えただけで、その後のことは知りません」
だが、彼女はシェフィールドには行かなかった。レットフォードで目撃されているのだ。そのことを問いただされると、ノッダーは供述を変えた。
「たしかに、あの日はもう遅かったので、レットフォードの私の下宿に連れて行きました。そして、翌朝にバスでワークソップまで連れて行き、シェフィールドまでの運賃2シリングを手渡すと、そこで別れました」
しかし、ワークソップで彼らを目撃した者は一人もいない。つまり、モナはノッダーの下宿で殺害されて、何処かに遺棄された可能性が高いのだ。
それでもノッダーは犯行を認めようとはしなかった。遺体が見つからなければ罪に問われないと高を括っていたようだ。こんな男を野に放つわけにはいかない。検察官はとりあえず、誘拐容疑でノッダーを起訴した。そして、7年の刑を受けさせることで、その身柄を確保したのである。同年3月10日のことである。
3ケ月後の6月6日、モナの遺体がバウトリー近郊のアイドル川で発見された。死因は絞殺だった。
かくして、服役中のフレデリック・ノッダーは再び法廷に呼び出されて、殺人容疑で有罪となり、死刑を宣告された。刑が執行されたのは、同年12月30日のことである。
(2012年10月29日/岸田裁月)
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