ロナルド・ジェブソン(1974年当時)
現場検証に立ち会うジェブソン(右)
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ロナルド・ジェブソンは1939年、ハーパーという姓の女性の私生児として生まれた。母親は我が子を育てることが嫌になり、ジェブソン家に養子に出した。養親との折り合いが悪かった彼は、しばらくは「ロナルド・ハーパー」と名乗っていたが、児童への性犯罪を犯してからは「ロナルド・ジェブソン」と名乗るようになった。養親への当てつけなのだそうだ。全くひねくれた男である。
とにかく問題の多い男だった。小児性愛者だっただけでなく、アルコールとアンフェタミンの中毒患者だった。1958年と1960年の二度に渡って軍に入隊しているが、そのたびにトラブルを起こして除隊させられている。前述の如く、児童へのイタズラを繰り返し、1968年には6歳の少女を性的に虐待した容疑で有罪となり、2年の刑を云い渡されていた。仮釈放されたのは1970年3月2日。スーザン・ブラッチフォートとゲイリー・ハンロンが行方不明になる29日前のことだった。
仮釈放後のジェブソンが身を寄せたのが、エッピング・フォレストに住む幼馴染みのロバート・パッパーの家だった。そして、3月31日にスーザン・ブラッチフォートとゲイリー・ハンロンを車に誘い込み、森の中でそれぞれを犯した挙げ句に殺害した。
その4日後の4月4日、ジェブソンは11歳の少年を性的に虐待した容疑で逮捕されて有罪となり、5年の刑が云い渡された。つまり、彼は「The Babes in the Wood」の事件が大々的に報じられる頃には獄中にいたので、容疑者として浮上しなかったのである。
3年後の1973年に仮釈放されたジェブソンは、再びロバート・パッパーの家に身を寄せる。しかし、彼の前科が前科である。幼い娘がいる身としては居着いて欲しくない人物だ。間もなくパッパーはジェブソンに立ち退きを要求する。その際にジェブソンはこのように罵ったという。
「お前らに復讐してやるからな!」
ローズマリー・パッパー(8)が強姦された挙げ句に絞殺されたのは、その翌日のことだった。ジェブソンはそのまた翌日に逮捕され、終身刑を宣告されたわけだが、彼のロバート・パッパーへの恨みたるや凄まじく、22年後に彼を貶めるために「あいつが『The Babes in the Wood』の犯人」と申告したのである。
2000年に更に2件の終身刑を追加されたロナルド・ジェブソンは、完全な異常者であったが、意外に常識人でもあった。霊の存在を信じていたのだ。現場検証に立ち会う彼は、これ以上は進めないと捜査官に訴えた。
「霊がいる。ダメだよ。ここには入れないよ」
心霊関係に懐疑的な筆者は霊の存在は信じないが、殺人者は霊の存在に脅えればいいと思う。脅えて、脅えて、脅えて、そして、己れの所業の重さに踏み潰されて、地獄に行けばいいと思う。人を殺せば地獄に行く。無限の試練が死後に待っている。
(2012年3月30日/岸田裁月) |