1923年10月19日、ニュージーランド北島の小さな町、ワイキノでの出来事である。
その日、薪の製造販売を生業としている中年男、ジョン・ヒギンズは地元の小学校に呼び出された。彼は子供たちを学校に通わせていなかったのだ。ヒギンズは当初から喧嘩腰だった。
「俺の子供だ。どうしようと勝手だろ!」
校長のロバート・リードはこれを諌めた。
「それではお子さんのためになりませんよ。教育を受ければ、もっといい生活が出来ますよ」
この一言にブチ切れた。誰に口きいてんじゃ、ワレェってな感じでヒギンズは拳銃を取り出し、リードの顎に目掛けて発砲した。その後はもう大暴れだ。授業中の生徒たちに無差別に発砲し始めたのである。この惨事により以下の2人が死亡した。
ケルヴィン・マクリーン(13)
チャールズ・スチュワート(9)
他にも4人の生徒(8歳から13歳)が重傷を負った。また、ガンマンから逃げる過程で2人の生徒が負傷している。
間もなく武装警官に包囲されたヒギンズは、うちの一人を負傷させた後に、勝ち目はないと悟って降伏した。
かくして、ヒギンズには死刑が宣告されたが、後に精神異常であることが認められて、終身刑に減刑された。
本件は今のところ、ニュージーランドにおける唯一の学校襲撃事件である。更新されることがないことをただただ祈るばかりだ。
(2012年12月25日/岸田裁月)
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