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ロバート・ヒーリー
Robert Healey (イギリス)



ロバート・ヒーリー


グリーバ・ヒーリーとマリー・ウォーカー

 1986年8月4日、ウェールズ北部のプレタティンの浜辺で、折り畳まれた男ものの衣服と遺書が発見された。遺書の主はマンチェスター近郊、ヘイゼル・グローブ在住の自動車教習所教官、ロバート・ヒーリー(37)だった。遺書の中でヒーリーは如何に結婚生活が破綻していたか、そして、如何に人生に絶望したかを滔々と語っていた。

 本当にヒーリーは入水自殺したのだろうか? その自宅を警察が訪ねたところ、妻のグリーバ(40)と継子のマリー・ウォーカー(13)も行方不明になっていることが判明した。寝室には血痕があった。その血液型はグリーバとマリーのものと一致した。

 8月7日、ヒーリーの自家用車がバーミンガムの駐車場で発見された。これまたおかしな話である。ウェールズ北部で自殺した男の車がどうしてバーミンガムにあるんだ? 答えは一つ。ヒーリーの自殺は偽装であり、おそらく妻子を殺している。それを裏づけるかのように、車の中からも同じ型の血痕が発見された。

 8月15日、ウェールズ北部の田舎町、カイルウイス(プレタティンからは直線で10kmほどの距離)で、人間の手足が地面から突き出しているのを散歩中の老人が発見した。遺体は全裸の女性で、間もなくグリーバとマリーであることが確認された。グリーバは頭を酷く殴られ、マリーは絞殺されていた。
 ちなみに、2人とも殺される直前に性交渉をしていた。それが合意の上だったのか、それとも強要されたのかは不明である。

 翌日の晩、ロバート・ヒーリーは最早これまでと思ったのか、スコットランド・ヤードに出頭した。
 1987年3月24日から執り行われた裁判において、ヒーリーはこのように主張した。
「セックスに関して妻に嘲られたことが犯行の切っ掛けでした。カッとなった私は、気がついたら妻を麺棒で打ち据えていたのです。やがて、悲鳴を聞いた娘が現れました。私は已むなく彼女の首を絞めて殺害しました」
 ヒーリーはマリーと性交渉をしたことは決して認めようとはしなかった。

 3月31日、陪審員は3時間の審議の末に有罪を評決し、ヒーリーには終身刑が宣告された。その際に少なくとも20年は仮釈放を認めるべきではない旨が付言されたが、その20年は既に過ぎている。しかし、ネット検索した限りでは、仮釈放はまだ認められていないようだ。

 この事件の気になるところは、マリーが殺害直前に性交渉をしていた事実である。つまり、ヒーリーは真相を明かしていないのだ。その日、いったい何があったのか? マリーは以前から継父と関係していて、そのことが犯行の引き金となったのではなかったか?
 実は裁判後に判ったことなのだが、ヒーリーは1983年に少女に猥褻な行為をしたかどで保護観察処分を受けていた。小児性愛者だったのだ。故に継子が目的で結婚した可能性も否定出来ないのである。

(2012年10月16日/岸田裁月) 


参考資料

http://www.murder-uk.com/
http://murderpedia.org/male.H/h/healey-robert.htm


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