1945年3月10日、ウェールズ南部ブリッジェンドの捕虜収容所、アイランド・ファーム・キャンプからドイツ人捕虜67人がトンネルを掘って脱走した。付近一帯は大騒ぎである。脱走者は徐々に逮捕されたが、2日後に最悪なニュースが舞い込んだ。女性が脱走したドイツ人に撃たれたというのだ。
否。これは誤報で、撃ったのは女性の内縁の夫だった。事情はこうだ。
3月12日の夜、被害者のリリー・グリフィスは内縁の夫、ハワード・グロスリー(37)と共にポーチコールの自宅付近を散歩していた。と、そこに脱走者が現れて、リリーのハンドバッグを寄越せと脅して来た。グロスリーは携帯していたリボルバーを手に取り、脱走者に発砲した。ところが、その弾は脱走者にではなく、リリーに命中してしまった…。
これはグロスリーの供述に基づくものであり、後に瀕死のリリーも病床で認めたところである。しかし、この供述には矛盾が多過ぎる。まず、どうして近所を散歩するだけなのにリボルバーを携帯していたのか? 脱走者を警戒していたのなら、そもそも散歩などしない筈だ。また、脱走者を撃とうとして愛しい人を撃ち間違えるだろうか? というのも、ハワード・グロスリーは一般人ではなく、ロンドンに赴任していたカナダの軍人だったのだ。彼自身が祖国に妻子がいる脱走兵だったのである。そんな男が内縁の妻を銃撃したのだ。額面通りに受け取るわけにはいかない。
間もなく病床のリリーは供述を変えた。
「ハワードはとても落ち込んでいました。脱走兵であること、そして、祖国に妻がいること。『もう堪えられない』と彼は自殺を図りました。私が止めに入り、そして撃たれたのです」
つまり、自殺を図ったグロスリーの代わりに撃たれたと証言したのだ。そして、3月16日に死亡した。
しかし、この証言は法廷では受け入れられなかった。
かくして、ハワード・グロスリーは内縁の妻殺しで有罪となり、死刑を宣告されて、1945年9月5日に処刑された。リリーは最後の最後まで内縁の夫を弁護していたが、身体は痣だらけだったという。日頃から調教されていたのだろう。
(2012年10月14日/岸田裁月)
|