ダグラス・グレッズラー
ウィリアム・スティールマン
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ブロンクス出身の流れ者、ダグラス・グレッズラー(22)がアリゾナ州メサの安酒場でウィリアム・スティールマン(28)と出会ったのは1973年10月11日のことである。両名はたちまち意気投合し、旅に出掛けることにした。それは無秩序と暴力に溢れたトンデモない旅だった。
17日後の10月28日、地元のトレーラーハウスに侵入し、ロバート・ロビンス(19)とキャサリン・メスタイター(18)のカップルを射殺。先立つ路銀を手に入れる。
その後、ツーソンに南下する途中でギルバート・シエラ(19)を射殺。そして、ツーソンに到着するや否やアパートに侵入し、マイケル・サンドバーグとパトリシア・サンドバーグの夫妻を射殺。金目の物と車を奪う。直後に寝袋で睡眠するヒッチハイカー(身元不明)を面白半分で殺害している。
やがてカリフォルニア州に逃げ延びることにした両名は、途中のフェニックスでマイケル・アドシェイドとケン・アンレインを誘拐。射殺後に衣服を剥ぎ取り、カリフォルニア州オークデイルの溝に突き落としている。
いやはや、無茶苦茶である。
ページが短い間にこれほど血みどろになったのは初めてだ。
さて、いよいよメインの事件である(まだあるんかい!)。
最初の殺人から9日後の11月6日、グレッズラーとスティールマンはカリフォルニア州ビクターのパーキン夫妻の家に侵入し、以下の者を殺害した。
ウォルター・パーキン(この家の主人)
ジョアン・パーキン(ウォルターの妻)
リサ・パーキン(パーキン夫妻の娘・11歳)
ロバート・パーキン(パーキン夫妻の息子・9歳)
デブラ・アール(18歳)
リチャード・アール(デブラの父親)
ワンダ・アール(デブラの母親)
リチャード・アール・ジュニア(デブラの弟)
マーク・ラング(デブラの恋人)
状況を説明しよう。その晩、パーキン夫妻はボーリングに出掛けていた。デブラ・アールは夫妻に頼まれて、子供たちの面倒を見ていたのだ。そこにデブラの両親と弟、そして恋人が訪ねて来た。だから、これだけの大人数が殺されてしまったのである。
パーキン夫妻の友人にして同居人、キャロル・ジェンキンスも犠牲になる可能性があった。しかし、その晩はたまたまデートに出掛けていた。帰宅したのは午前3時。その頃には下手人たちは既に逐電していた。
帰宅したキャロルは、誰にも挨拶することなく寝室に直行した。そして、明け方にマーク・ラングの友人たちに起こされた。
「マークが何処にもいないんだ。ここにいるかと思って」
間もなくキャロルは主寝室でパーキン夫妻の遺体を、そして、収納部屋で残りの遺体を発見した。「残りの」といっても老若男女あわせて7人である。さぞかし凄まじい光景だったことだろう。銃弾が25発も費やされていたというから尚更だ。
その翌日の11月8日、ダグラス・グレッズラーとウィリアム・スティールマンはサクラメントのホテルで逮捕された。既にアリゾナ州で重要指名手配されていたので、写真がカリフォルニア州でも出回っていたのである。
かくして2人のならず者、というか神をも恐れぬ鬼畜だな、こいつらは。とにかく、こいつらはカリフォルニア州で9件の殺人容疑で終身刑、その後、アリゾナ州に移送されて8件の殺人容疑で死刑を宣告された。そして、スティールマンは1987年に獄死。グレッズラーのみが1998年6月3日に薬物注射により処刑された。当然の報いである。
(2012年3月29日/岸田裁月)
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