ジェイムス・ダナム
ダナムの指名手配書
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1896年5月26日深夜、カリフォルニア州サンノゼ近郊の町、キャンベルで6人が惨殺される事件が発生した。
ハッティ・ウェルズ・ダナム(25)
エイダ・ウェルズ・マッグリンシー(53・ハッティの母)
リチャード・マッグリンシー(56・ハッティの継父)
ジェイムス・ウェルズ(22・ハッティの弟)
ミニー・シャスラー(28・家政婦)
ロバート・ブリスコー(50・使用人)
とりあえず、彼らの関係について説明しておこう。
ハッティの実父、O・C・ウェルズが死亡したのは13年前のことである。その後、母親のエイダはリチャード・マッグリンシー大佐と再婚した。南北戦争の退役軍人にして、この町の重鎮である。
舞台となった家には上記の他にも3人が住んでいた。
まず、ハッティの夫であるジェイムス・ダナム(32)。かつては肉体労働に従事していたが、1年ほど前にハッティと結婚してからは仕事を辞めて、サンタクララ大学に通っていた。いわゆる「逆玉」というやつである。
次に、3週間前に生まれたばかりのダナムの息子。後に養親によりパーシーと名付けられた。
最後に、この家のもう一人の使用人、ジョージ・スケイブル。彼は納屋に隠れていたために難を逃れた。そして、彼の証言により犯人が特定された。6人を殺害したのは「逆玉」のジェイムス・ダナムに他ならない。
ダナムについては以前から様々なゴシップが出回っていた。
「あの人、マッグリンシー家の婿としては身分不相応なんじゃないの?」
「特に姑さんとの折り合いが悪いらしいわよ」
「寡黙な男だよ、あいつは。気持ちが悪いくらい」
「何を考えているのか、判らないんだよなあ」
「切れると何を仕出かすか判らない男らしいぜ」
「切れると何を仕出かすか判らない男」というのは本当らしい。地元紙の「サンホセ・マーキュリー』によれば、子供の頃に小遣いを貰えなかった彼は、逆上のあまりに家畜のニワトリ3羽の絞め殺したという。内に得体の知れないものを抱えている。それがジェイムス・ダナムという男なのだ。
では、その日に何があったのか、現場の状況と目撃者の証言に基づいて事件を再現してみよう。
午後10時頃、ダナムは斧を携えて帰宅した。家族は既に就寝していた。但し、マッグリンシー大佐とジェイムス・ウェルズは町内の会合に出席していて留守だった。
ダナムがまず訪れたのは2階にある妻の寝室だと思われる。叫ばないように猿轡を噛ませて、鏡台にこのように書かせた。
「さようなら、お母さん、弟、そしてお父さん。ハッティ」
(Please say good-bye for me to my dear mother, brother and stepfather. Hattie)
やがて隣室にいた家政婦のミニーが物音を聞きつけ、様子を窺いに来た。ダナムは斧で彼女の頭を叩き割り、その後、4回に渡って斬りつけて彼女を殺害した。
その断末魔の叫びで起こされたエイダもまた斧で頭を叩き割られた。
思うに、ダナムはハッティと幼い息子を連れて逃げるつもりだったのかも知れない。しかし、失敗に終わり、家政婦と義母を殺してしまった。自棄になった彼は、ハッティを絞殺し、一家を皆殺しにすることを決意した。暗闇の中で義父と義弟が帰宅するのを待っていたのである。
マッグリンシー大佐とジェイムス・ウェルズが馬車で帰宅したのは午後11時頃のことだった。御者は生き残ったジョージ・スケイブルである。彼は馬の世話をしていたおかげで死なずに済んだのである。
自宅にまず足を踏み入れたのはジェイムス・ウェルズだった。そこにダナムが斧で斬りつけた。ウェルズは体をかわしたが、マッグリンシー大佐は右目を負傷した。その後はダナムとウェルズの肉弾戦である。居間に残る数々の斧の痕跡から、如何に激しいものであったかが窺える。しかし、最後はダナムの反則技。38口径と45口径の2挺の拳銃でウェルズを貫いたのである。
一方、マッグリンシーはというと、這いずりながら隣接する飯場に向かっていた。そこをダナムに2発撃たれた。マッグリンシーは飯場に入ると、扉を閉めて籠城した。やがてダナムの声が響き渡った。
「おい、マック。出て来いや。もう逃げ場はないぜ」
(Come out, Mac, come out. I've got to have you.)
これにマッグリンシーは応えた。
「もう撃つな、ジム。銃をしまえ」
(Don't shoot me any more, Jim. Put up your pistol.)
しかし、ダナムは銃撃を止めなかった。弾丸を装填してドア越しに銃撃し、遂にその心臓を射止めたのである。
同じ部屋にいたロバート・ブリスコーは、怖れのあまりに窓を破って走り出た。そこを背後からダナムに撃たれた。即死だった。
その後、ダナムは馬に乗って逃走した。そして、二度と見つからなかった。彼が何処に逃げたのか、そして、殺しの動機は何だったのか、判らないままに筆を置かなければならない。極めて謎が多い事件である。
(2012年4月5日/岸田裁月)
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