1969年1月24日、マサチューセッツ州コッド岬の先端にある町、プロビンスタウンで2人の若い女性が行方不明になった。パトリシア・ウォルシュとメアリー・アン・ワイソッキー。いずれもロードアイランド州プロビデンスからの旅行者だった。
2週間後の2月8日、捜索隊は隣町たるトゥルーロの墓地で、バラバラに切断された女性の遺体(1人分)を発見した。どの部分が切断されていたのかは不明だが、8つに解体されていたという。検視の結果、遺体は捜索対象者ではないことが判明した。名前はスーザン・ペリー。プロビンスタウンで暮らしていた彼女は、昨年の9月10日から行方不明になっていた。
1ケ月後の3月4日、先の現場から1マイル半ほど離れた場所で、バラバラに切断された女性の遺体(3人分)が発見された。今度こそ捜索対象者の2人と、昨年6月から行方不明になっていたシドニー・モンソンだった。
捜査官はこの埋葬現場に覚えがあった。
「ここはあのジャンキーが大麻を栽培していた場所じゃないか!」
そのジャンキーとは、トゥルーロ在住の大工にしてヤクの売人、トニー・コスタ(24)だった。
早々にしょっぴかれたコスタは知らぬ存ぜぬで押し通した。しかし、スーザン・ペリーとシドニー・モンソンは彼のガールフレンド(ヤク仲間)であったばかりか、現場付近に放置されていたパトリシア・ウォルシュの車からはコスタの指紋が発見された。彼が事件に関与していないとは到底思えない。ポリグラフ検査もその犯行を裏づけていたし、精神鑑定も彼が殺人を為し得ることを示唆していた。
「スキゾイド・パーソナリティ障害(分裂病質人格障害)」
「性的に危険な男」
「現代のマルキ・ド・サド」
かくして、モンソン、ウォルシュ、ワイソッキーの3件の殺人容疑で起訴されたコスタは、ウォルシュとワイソッキーの2件でのみ有罪となり、終身刑を云い渡された。
モンソンの件で有罪にならなかったのは、他の2件が明らかな殺人(頭部への銃撃)だったのに対して、モンソンの場合は死因が不明で、麻薬の過剰摂取で死亡した可能性があることが考慮されたからだろう。ペリーの件で起訴されなかったのも、また同様の理由からだと思われる。
獄中でコスタは『レザレクション(復活)』と題した小説を書いていた。己の事件に関する小説だ。そこではコスタ自身は、死体遺棄には関与したものの殺してはいない。実際に殺したのは「カール」だと主張している。
1974年5月12日、コスタは皮ベルトで首を吊って自殺した。彼は上記の4人の他にも以下の3人(いずれも行方不明)の死への関与が疑われているが、その答えは永遠の謎となってしまった。
ボニー・ウィリアムス
ダイアン・フェデロフ
バーバラ・スポールディング
(2012年3月23日/岸田裁月)
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