脱獄後のローレンシア・ベンベネック |
しかし、私はこの結論を支持できない。彼女が犯人とは思えない。
まず、被害者の息子たちは犯人のことを「彼」と明言している。明言するからには男女の体格の違いに気づいていたのだろう。
また、確かに彼女は鍵や凶器を持ち出せる立場にあったが、それは夫のエルフレッドも、ルームメイトのジュディーも同じなのだ。
更に、ジュディーは事件当時、フレデリック・ホーレンバーグというチンピラとつき合っていた。チンピラであるわけだから、当然に刑事のエルフレッドとも顔見知りで、彼もまた鍵や凶器を持ち出せる立場にあったのだ。つまり、このチンピラがエルフレッドに依頼されて犯行に及んだ可能性も否定出来ないのである。
世間も概ねローレンシアには同情的だった。エルフレッドが判決後にすぐさま離婚し、彼女の悪口を云い始めたこともその一因である。
「バンビはミルウォーキー警察にハメられたんじゃないだろうか?」
「バンビ」とは姓の「ベンベネック』から来た愛称だが(もっとも彼女はこの愛称を嫌っていたようだ)、多くの者が彼女の冤罪を信じ始めていた。一方、ローレンシアはというと、弁護士を通じて再審を請求する一方で、模範囚として過ごし、多くの服役者から慕われていたという。
1990年7月15日、ローレンシアは同房者の兄、ニック・ググリアートの協力を得て脱獄に成功した。世間は彼女に喝采した。
「逃げろ! バンビ、逃げるんだ!」
(Run, Bambi, Run !)
こんなステッカーまでが販売されたのだから、大した人気者である。
その後、カナダのオンタリオ州サンダー・ベイに3ケ月間潜伏していた彼女は、カナダ政府に亡命を要求した。
「私は本国アメリカで公正な裁判を受けることが出来ませんでした」
この要求は受け入れられなかったが、カナダ政府は彼女の裁判に問題があったことを指摘してアメリカ政府に引き渡した。これを受けて彼女は第2級殺人に減刑されて、その刑期の10年を既に過ぎていることから釈放される運びとなった。ローレンシアは無実を選ぶことなく、自由を選んだのである。
その後、ローレンシアは「ローリー(Laurie)」と改名。自伝を執筆し、それを元にしたTVドラマが2本も製作された。大麻吸引で逮捕されたり、2002年には2階のバルコニーから飛び降りて、右足の膝から下を切断等、何かと話題に事欠かなかった。いわば「あの人は今?」的な役割を20年に渡って果たして来たわけだ。そして、2010年11月20日、肝臓がんのために死亡した、52歳だった。
彼女が犯人であったかはともかく、波瀾万丈の人生だった。
(2012年11月5日/岸田裁月) |