1742年、イングランド東部サフォーク州スタンフィールドの農家に生まれたアン(旧姓不明)がジョン・ベディングフィールド(当時24歳)に嫁いだのは17歳の時だった。結婚祝いにベディングフィールド家から広大な農地を与えられ、2人の子供にも恵まれて、結婚生活は円満かに思われた。ところが、アンは不満を抱えていた。夫のジョンが極めて退屈な男だったのだ。
そんな彼女が魅了されたのが、1761年、つまり結婚3年目から使用人になったリチャード・リンジ(当時19歳)だった。彼女はこの1つ年下の若者に夢中になった。そして、不倫の関係に至ったのである。
今日なれば、不倫の関係に至った者には駆落ちなり何なりといくらでも行く道がある。ところが、封建制の時代には土地に縛られているわけで、逃げることが出来ないのだ。故に彼らとしては、この恋愛を成就するためには夫を殺さなければならなかったのである。
さて、ここで読者諸君にお断りしておかなければならない。この事件、かなり間抜けである。犯人及び関係者すべて含めて間抜けそのもの。250年前の事件なので已むを得ないのだろう。なにしろ『火曜サスペンス劇場』がなかった時代のことなのだから。現代ならばあり得ない部分はカッコ書きでツッコミを入れることにしよう。
アンとリチャードがまず考えたことは、ジョンを毒殺することだった。そこで小間使いの女の子に毒を盛るよう指示するも断られてしまう(←自分でこっそり盛れよ)。
仕方がないので、首を締めて殺害することにしたのだが、その経緯がこれまた杜撰極まりない。
それは1762年7月27日のことだった。牛を売りに出掛けたジョンとリチャードは、帰途にパブに寄り、夜遅くに帰宅した。一方、アンはというと、小間使いの部屋で、その女の子と共に寝ている。ジョンは不審に思って声をかけた。
「おい、なんでそんなところで寝てるんだよ。こっちに来いよ」
と主寝室を指差すが、アンは、
「ベッドが冷たかったの。今夜はこの子と眠るわ」(7月ですぜ。ベッドが冷たいわけがない)
ワケが判らないままジョンは一人で就寝するわけだが、そこにリチャードが忍び混んで首を締めた。ドタンバタンと大騒ぎになり、当然ながら小間使いの子も耳にしていた(おいおい)。ところが、そんなことはお構いなし。実に大胆な犯行である。そして、その死を確認したリチャードがアンのもとに報告に来た。
「奴をやったぜ」
(I have done for him.)
アンは答えた。
「なら安心したわ」
(Then I am easy.)
この一連の流れをすべて小間使いの女の子に目撃されているのだ。間抜け以外の何者でもない。もちろん、口止めはしたのだが、それにしてもお人好しに過ぎる。はっきり云えば「バカ」なのだろう。
ところがこの事件、どういうわけか当初は事故として扱われたのだ。ジョンの遺体は翌朝に別の小間使いにより発見されて、直ちに地元の医師が呼ばれたのだが、その医師が「悪夢にうなされた挙げ句、自ら寝巻で首を締めてしまった」との死因を報告したのである。…おそらく、この医師は買収されていたのだろうな。そうでなければ、こんな流れにはならないよ。
でも、まあ、やがて悪事は露見する。一部始終を目撃していた例の小間使いが1年分の給金を貰って薮入りした折りに、事の次第を両親に告白したのである。
かくして逮捕されたアン・ベディングフィールドとリチャード・リンジは、ジョン・ベディングフィールド殺しで有罪となり、死刑を宣告された。当時の夫殺しは軽反逆罪に該当する重罪だった。故にアンは絞首後に火炙りとなり、リチャードは絞首後にバラバラに解体された。1763年4月8日のことである。しかし、それにしても如何にも間抜けな事件であり、ツッコミを入れずにこの事件を紹介するのは難しい。
(2012年10月4日/岸田裁月)
|