1902年1月1日朝、ケント州トンブリッジ近郊の町、サウスボローにおいて少女の遺体が発見された。ほとんど全裸で、浅いアヒル池の中で俯せに横たわっていた。性的に虐待された後、ナイフで喉を掻き切られている。凶器のナイフは彼女の髪に絡みついていた。
間もなく少女の身元が割れた。フランシス・オルーク(7)。昨日から行方不明になっていた。
彼女の衣服が遺体発見現場から3kmも離れた場所で発見されたことから、犯人は馬車か何かの乗り物で移動して、遺体を遺棄したものと思われた。やがて、このことを裏づける目撃者が現れた。犯行当日、被害者が若い男と共に馬車に乗っていたというのだ。その男がハロルド・アプテッド(20)だった。彼は遺体発見から2日後の1月3日に逮捕された。
法廷において、アプテッドの知人が、凶器のナイフは犯行の3週間前に彼に貸したものであることを証言した。また、別の知人は、アプテッドが犯行の前日にそのナイフを持っていたことを証言した。血まみれの衣服も証拠として提出された。最早云い逃れは出来なかった。
かくして有罪となったアプテッドは、1902年3月18日に絞首刑により処刑された。20歳という若さ故に死刑は忌避すべきとの声もあったが、事件の残虐性を鑑みた内務大臣は動かなかった。
(2012年8月9日/岸田裁月)
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