ロンドン近郊のアボッツ・ラングレーに1870年に設立されたリーヴズデン精神病院は、比較的軽度で穏やかな患者向けの精神医療施設だった。収容者数は1500人。うちの6割は女性だった。そして、本件の被害者たるキャロライン・アンセル(26)もまた4年前から収容されていた。
そんな彼女が送り主不明の小包を受け取ったのは1899年3月9日のことである。
「まあ、誰からかしら?」
包みを開けると中身はペイストリー(パイ状の菓子)だ。あ〜ら、嬉しい。キャロラインはすぐさまパクつき、患者仲間にも分け与えた。ところが、その日のうちに口にした者すべての具合が悪くなった。深刻なのは云うまでもないがキャロラインで、4日後にはそのまま死亡してしまった。
検視解剖の結果、リン中毒であることが判明した。
状況から見て、ペイストリーにリンが混入されていたことは明らかで、紛うかたなき殺人事件である。では、いったい誰がこのペイストリーを送りつけたのか? 最も疑わしいのがキャロラインの妹、メアリー・アン・アンセル(22)だった。彼女はキャロラインの死の2日後、母親と共に病院に訪れていたのだが、その際に死亡診断書を要求していたのだ(但し、検視解剖前なので死因が判らず、死亡診断書は発行されなかった)。どうして早々に死亡診断書が必要だったのか? 実は彼女は姉に生命保険をかけていたのである。
事情はこうだ。ロンドンのマロニー家で住み込みの家政婦として働いていたメアリーは、昨年9月に当家に出入りする保険外交員を通じて生命保険契約を結んだ。その際、彼女はこのように述べていたという。
「これで姉が死んでも立派な葬式が挙げられるわ」
姉思いの健気な娘だと思われたことだろう。ところが、彼女は契約締結時に姉が精神病院に収容されていることを申告していない。精神病院で「働いている」と申告している。これは重大な契約違反である。精神疾患がある者は死亡率が増すからだ。
契約内容は「キャロラインが半年内に死亡すれば11ポンド5シリング、その後の1年内に死亡すれば22ポンド10シリングがメアリーに支払われる」というもので、だからメアリーとしてはこの期間内に姉に死んでもらわなければならなかったのである。
ちなみに、当時の1ポンドは現在の価値で7〜8万円ほどと云われている。家政婦としての年収近くの額が姉の死により手に入ることになる。契約金は詳らかではないが、1シリングに満たなかったのではないだろうか(1ポンド=20シリング=240ペンスとのことで、英国の通貨は判りにくい)。
では、どうしてメアリーは早々に金が必要だったのか?
実は彼女には婚約者がいたのだ。そして、当時の英国では結婚許可証の代価として7シリング6ペンスが必要だった。メアリーとその婚約者はそれさえも捻出できないほどの貧困に喘いでいたのである。
故の保険金殺人である。メアリーにとっては精神病院に収容されている姉は邪魔者以外の何者でもなかったのだ。
状況証拠はこの他にもあった。
例えば、メアリーは事前にリンを近所の薬局で購入していた。当時はリンは殺鼠剤として普通に販売されていたようだ。
また、以前にもキャロラインのもとに、やはり送り主不明の紅茶が送られて来たことがあった。だが、ひどく苦いので捨ててしまったという。これもメアリーの仕業ではなかったか?
そのしばらく後、キャロラインのもとに従姉妹のハリエット・パリッシュの名義で「キャロラインの両親が亡くなった」との手紙が届いた。しかし、実際にはキャロラインの両親は亡くなっていない。ハリエットもそのような手紙は書いていないという。この手紙もメアリーによるものではなかったか? つまり、キャロラインが死亡した後、自分だけに訃報が届くように工作したのではないだろうか?
決定的だったのは、前年のクリスマス・カードである。その筆跡が例の小包のそれと一致したのである。
かくしてメアリー・アン・アンセルは姉殺しの容疑で逮捕され、死刑を宣告された。その年齢と女性であること、更に精神疾患が多い家庭の生まれであること(彼女のもう一人の姉も精神疾患のために7年前に死亡している)を理由に異議が申し立てられたが、それは通らずに1899年7月19日に処刑された。
(2012年9月12日/岸田裁月)
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