1993年2月8日の正午頃、アメリカで最大規模の救急病院、南カリフォルニア大学メディカル・センターでの出来事である。1人の男が受付に駆け寄り、そして叫んだ。
「助けてくれ! 俺には助けが必要なんだ!」
何事ぞと顔を出した医療スタッフは仰天した。その手には44マグナムが、もう片方の手にはソードオフ・ショットガンが握られていたからだ。
やがて彼はランダムに発砲し始めた。
「俺の苦痛をどうにかして欲しいんだ! 判るか!? 俺には助けが必要なんだ!」
院内はパニックに見舞われた。或る者は机の下に隠れ、また或る者は仕切りの背後に逃げ込み、そして、多くの者が出口に殺到した。
3人の医師に重症を負わせた後、男は女性医師と看護婦を人質にしてレントゲン室に籠城した。SWATチームが病院を取り囲む中で交渉は続けられ、遂に人質を解放して降伏したのは5時間後のことだ。
男の名はダマシオ・トーレス(40)。その主張は明らかにキ印のものだった。
「俺は長年、あの病院で様々な人体実験を受けて来たんだ。俺の手足が生来的に歪んでいるせいなんだろうが、酷いものさ。肛門に器具を突っ込まれて腸に穴を開けられたこともあるんだぜ。終いにゃエイズ・ウィルスを注射されたんだ。あそこの医者は俺をモルモットのようにして観察していやがったんだ」
云うまでもないが、医師がエイズ・ウィルスを注射した事実はない。彼はHIV感染者ではなかった。すべてが彼の妄想だったのである。
ちなみに、トーレスが標的にしたのは医師のみだった。看護師や事務員、患者は狙わなかった。
「出来ることなら、あの病院で働くすべての医者を殺したかった」
ダマシオ・トーレスは3件の殺人未遂と2件の不法監禁の罪で裁かれて有罪となった。本来ならば精神異常を理由に無罪になるケースだと思われるが、精神鑑定に当った医師は「パラノイア的な傾向はあるが責任能力に問題なし」と判断したようだ。その後の処遇はどうなったのか、ネットで検索すれども判らなかった。ちゃんとその筋の施設で治療を受けていて欲しいものだ。
(2011年5月17日/岸田裁月) |