この事件についてネットで検索してみたが、全くと云っていいほどヒットしなかった。ようやく一つ見つけたところ、そこでも「殆ど忘れられている」と書かれていた。犠牲者の多くが不法移民だったために、事件当時も余り顧みられなかったのかも知れない。
1980年8月17日、日曜日の午前3時30分頃、ロンドンはソーホー地区の2つのナイトクラブで火の手が上がった。それは明らかに放火だった。入り口にガソリンが撒かれていたからだ。店内の客が炎に気づいた時には既に煙が充満し、天井のプラスチックが溶けて、さながらナパームの如く降り注いでいたという。助かるためには窓から飛び降りるより他なかった。結果、死者37人、負傷者は少なくとも24人の大惨事となった。
そのナイトクラブはスペイン語圏の人々、特にコロンビア人が集う場所として知られていた。はっきり云ってしまえば、ロンドンでもかなり如何わしい場所である。日常的に売春婦が商いし、麻薬が密売されていた。そんな場所だ。不法入国者も多かった。故に37人の殆どは身元が判っていない。調べようがなかったのだ。
そんな場所であるわけだから、様々な動機が考えられる。見ケ〆料を要求するヤクザの仕業とも考えられるし、麻薬を巡るトラブルかも知れない。ところが、経営者曰く、そのような揉め事はなかったという。
やがてクラブの常連から有力な情報が寄せられた。事件の数日前に或る男が酒代を巡ってバーテンと口論していたというのだ。そして、店を出る際に、このように毒づいたという。
「いつかこの店を焼いてやるからな!」
これが本当なら、なんとチンケな動機であろうか。つまり、こいつはボられた腹いせに火を放ち、37人もの命を奪ったのである。参考文献を読んでいた私は「He claimed he had been overcharged」の一文を眼にするなり天を仰いでしまった。呆れて物も云えないとはこのことだ。
この男の人相は事件の直前に現場付近で目撃されていた挙動不審の男と一致した。その男は8月にも拘らずガソリン缶を提げていたというのだ。かくしてモンタージュ写真が手配されて、8月27日にジョン・トンプソン(42)が逮捕された次第である。
トンプソンは当初は犯行を認めていたが、法廷では証言を覆して無罪を主張した。警察に自白を強要されたと主張したわけだが、その云い分は通らずに有罪となり、終身刑が云い渡された。
(2009年5月5日/岸田裁月) |