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参考文献の表題に『Mary and Earl Smith』とあり、夫婦かと思って読み進めたら、母子だったので驚いた。バーカー一家以前にこんな母子がいたとは、あな知らなんだ知らなんだ。
メアリー・スミスはもともとはサンフランシスコ在住のケチな万引き常習犯だった。息子のアールがおつかいが出来る年頃になるや、今度は詐欺の常習犯になった。アールに偽造小切手を行使させたのだ。
いやはやなんとも、はじめてのおつかいが詐欺とはね…。近石真介のこんなナレーションが聞こえて来そうだ。
「おやおや、アール君、捕まっちゃいましたよ。いったいどうしちゃったんでしょう?」
でも大丈夫。アール君は捕まったらどうすればいいか、ちゃんと母君から教わっていたのだ。とりあえず罪を認めて号泣し、
「ママにバレたら殺されるう!」
と泣き叫ぶように指導されていたのである。大抵の場合、店主は同情して、警告だけで帰してくれたという。まさか母親とグルだとは思わんからね。
やがてティーンエイジャーになったアール君は母親のおつかいだけでは飽き足らず、通行人を襲撃して財布を奪うようになる。そして、しばしば挙げられて、感化院に繰り返し放り込まれた。そんな札付きのワルにこしらえたのが母親だってえんだから、呆れてモノも云えぬ。迷惑千万である。
1920年頃のスミス親子はモンタナに移り、これまで以上の悪事を繰り広げていた。親子がしきりに思案したのは、カツアゲしてもネコババしてもお縄にならない妙案だった。そして、最終的にかかる結論に至る。
「被害者をこの世からなくしてしまえばよいのである」
然すれば証拠はなく、ポリ公もお手上げな筈だ。
して、如何ようにしてなくす?
酸だ、酸だ、腐食性の酸だ! 硫酸で溶かしてしまえばいいのだ!
かくして地元の裕福な石油相場師、オーレ・ラーソンはスミス家地下の硫酸槽で溶かされた。彼の失踪に関してスミス親子も疑われたが、如何せん、遺体が見つからない。生きているのか、死んでいるのかさえも判らない。これでは摘発しようがない。スミス親子の思惑はまんまと的中したのである。
次なる犠牲者は、アールに誘惑された裕福な未亡人だとされている(氏名は不詳)。このたびも警察は、彼女の衣服や装飾品までは見つけたが、遺体を見つけることは遂に出来なかった。しかし、親子が彼女の失踪に関与していることは確実に思えた。厳しく追求したところ、メアリーはかように声を荒げたという。
「ならば訊くけど、死体はどこなのさ!?」
(If you think she's dead, where's the body ?)
警察はまたしても親子を挙げることは出来なかった。
そろそろモンタナでは仕事は無理だなと感じていたスミス親子は、今度はシアトルに移り、悪行三昧の日々を送った。
最後の犠牲者は若い海軍中尉ジェイムス・バセットだった。1930年のことである。
「青いスポーツカー売ります」(車種は不明)
との新聞広告を出したばっかりにスミス親子の毒牙にかかり、バラバラに切り刻まれて各地に埋葬されたのである。
ところが、このたびは親子はミスを犯した。バセットと共にスポーツカーを試乗する様が目撃されていたばかりか、数日後に発見された当該スポーツカーからは空になったバセットの財布が見つかったのだ。
しかし、このたびも警察はバセットが殺されている旨を証明することが出来なかった。故に殺人罪を問うことは出来ない。親子は重窃盗罪に留まり、アールには終身刑が下されたものの、メアリーには8年の懲役刑しか下すことが出来なかった。
このことに気をよくしたメアリーは些か調子に乗ってしまった。あろうことか同房の女囚に自慢げに真相を打ち明けてしまったのだ。
「さすがに埋めに行く時はビビったわよ。誰かに見られないかってね。だけど誰にも見られなかった。万々歳よ!」
これを看守にチクられて、バラバラ死体が掘り起こされて(実は目撃者がいたのだ)、親子は改めて殺人罪で有罪になった次第である。メアリーは死刑だけは免れて生涯を獄中で過ごしたが、息子のアールは独房で自殺したそうだ。さても因果な親子である。
(2009年11月23日/岸田裁月) |