1992年5月19日午前7時40分頃、オークランド警察に勤務するジェフ・スタック巡査は緊急通報を受けた。電話口では女性が助けを求めていた。
「助けて! 殺されるわ!」
それはほとんど悲鳴に近かった。スタック巡査は云った。
「落ち着いて下さい。あなたは誰ですか?」
と、次の瞬間に銃声が鳴り響き、受話器が落ちる音がした。そして、不気味な沈黙が続いた。
殺人が行われたのではないだろうか?
巡査は必死に聞き耳を立てた。すると約5分後に受話器を拾い上げる音がした。電話に出たのは少女だった。巡査は訊ねた。
「いったい何が起きたんだ?」
「おじいさんがお兄さんを撃ったの」
「お兄さんを撃った?」
「はい。私も狙われているわ」
「今、狙われてるのか?」
「はい。私を探してるの」
「そこにお母さんはいる? お母さんに替わってくれないか?」
「お母さんは死んだわ。顔を撃たれたの」
なんてこったい、べらぼうめ。
巡査は少女にタンスの中に隠れるように指示し、武装警官が彼女を救出するまでの間、恐怖に震える彼女を電話で励まし続けた。
惨劇の舞台となったのは、オークランドの南40kmのパエラタにあるブライアン・シュレイファー(64)の農場だった。
それは夜明けと共に始まった。ブライアン・シュレイファーはまず彼らの寝室で、妻のジョセリン(55)をナイフで刺し殺した。その悲鳴に起された次男のカール(33)は「はて、何だろう?」と両親の寝室に出向いた。彼がドアを開けるや否や、シュレイファーはショットガンを発砲し、彼を死に至らしめた。
その後、シュレイファーは物置小屋で、農作業の準備をしていた三男のダレル(31)を射殺した。
別棟で暮らす長男の妻、ヘイゼル(42)はこの銃声で目を覚ました。「はて、何だろう?」と起き上がり、玄関から外を覗いたところでシュレイファーに撃たれた。彼女は慌てて電話に走り、111番に通報した。その間にシュレイファーはまだベッドにいる孫のアーロン(11)を射殺していた。
電話に出たのはジェフ・スタック巡査だった。ヘイゼルは叫んだ。
「助けて! 殺されるわ!」
「落ち着いて下さい。あなたは誰ですか?」
次の瞬間、シュレイファーはヘイゼルを撃ち殺した。そして、もう一人いる筈のリンダ(9)を探したが、遂に見つけることは出来なかった。
5分後、リンダは受話器を取り、スタック巡査に状況を伝えた。
「お母さんは死んだわ。顔を撃たれたの」
その頃、シュレイファーは農場で、彼女の父親のピーター(39)を射殺していた。
シュレイファーが発見されたのは、その日の午後3時頃のことだった。農場の藪の中で己れの頭を撃ち抜いて自殺していたのだ。
スイス移民の三世であるシュレイファーは、グライディング・クラブを設立したり、所有する土地をボーイスカウトのキャンプ場として寄贈したりと、地元の名士として知られていた。そんな男が何でまた一家皆殺しという暴挙に出たのだろうか? 噂では、長男の妻のヘイゼルが彼の隠居を画策していたという。しかし、それが事実だったとしても、一家皆殺しの動機になり得るだろうか? 結局、動機は謎と云わざるを得ない。
(2011年2月5日/岸田裁月) |