ヴァーノン・レイノルズ(43)はノース・ウェールズのリゾート地、スランディトノで簡易ホテルを経営していた。もっとも、彼が一から始めたわけではない。妻デニスの実家が簡易ホテルだったので、その経営を引き継いだのである。
当初は夫婦の仲は円満だったが、次第に亀裂が入り始め、1991年12月初頭には遂に別居に至る。居所は妻の実家だから、追い出されたのはヴァーノンの方である。彼はその後もたびたび復縁を迫ったが、デニスは頑として受け入れなかった。
1991年12月31日、デニスの実家では新年を迎えるパーティーが催されていた。そして、午後11時を回った頃、突如としてヴァーノンが闖入し、3人の子供が見ている前でデニスにキッチン・ナイフを突き立てた。彼女は庭に逃げたが助からなかった。止めに入った父親や妹も重傷を負った。
この事件が面白いのは(と云ってはいけないのだが)ここからだ。ヴァーノンはデニスの死を確認すると、愛車のモーリス・マリーナに飛び乗り、A470号線を南走した。そして、緊急通報を受けたパトロールカーにタル=ア=カブン辺りで追いつかれた。すると、ヴァーノンはなんと、対向車線にハンドルを切り、先方から来るミニに衝突した…。
この衝突事故により、ニュー・イヤーズ・パーティーへと向かう3人の若者が死亡した。
ロバート・ジョーンズ
アーウィン・ロバーツ
ブラインリー・ロバーツ
ヴァーノンはしばらくの間は生きていたが、車体から救助される頃には死亡した。
さて、この衝突事故は故意であったのか、はたまた過失であったのか? おそらく故意なのだろうな。ヴァーノンはかつてはタクシー運転手だった。故にかなりの運転技術があったわけで、過失とは考えにくいのだ。彼は自殺するために、3人の若者の命を犠牲にしたのだろう。
(2011年1月28日/岸田裁月) |