シモーネ・ピアネッティは1858年2月7日、ミラノ近郊の小さな町、カメラータ・コルネッロで生まれた。若い頃に父親と遺産を巡って争い、射殺しようとしたと伝えられている。血の気が多かったようだ。その後はアメリカに渡り、ワインの輸入業で生計を立てていた。
数年後に故郷に帰還したピアネッティは、カルロッタという娘と結婚し、9人の子をもうけた。そして「踊れる」ことを売りにした居酒屋を開業するのだが、地元教会の反対に遭い、閉店させられてしまう。その後も様々な事業に手を出したが、そのたびに頓挫している。
ピアネッティはカメラータ・コルネッロでは変人として知られていた。彼だけが日曜日に教会に来なかったのだ。おそらくアメリカでの生き馬の目を抜く生活が彼にそうさせていたのだろう。神など信じられなかったのだ。しかし、イタリアの片田舎では彼の理解者などいなかった。ピアネッティは疎外感に打ち拉がれ、そして、いよいよその時を迎える。
1914年7月13日早朝、ピアネッティは愛用のライフル銃を用いて以下の7人を殺害した。
ヴァレリア・ピアネッティ(娘)
アブラモ・ジウディチ(町長)
ドメニコ・モラリ(医師)
ジョヴァンニ・ジラーディ
ステファノ・フィリッピ
ジョヴァンニ・ジュポンニ
カトリーナ・ミレジ
その後、ピアネッティは逃亡し、近隣の村に潜伏していたようだが、遂に捕まらなかった。その生死は今日もなお不明である。まあ、とっくの昔に死んでいるのだろうが。
(2011年5月30日/岸田裁月)
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