ヴィッキー・モーガンことヴィクトリア・リン・モーガンは、1952年8月9日にコロラド州コロラド・スプリングスで生まれた。極めて美しい少女に成長した彼女は、ハイスクールを卒業と共に名声を求めてハリウッドを目指した。そして、チャイニーズ・シアターで受付嬢をしているところを実業家のアルフレッド・ブルーミングデール(当時54歳)に見初められ、その二号さんとして囲われた。
至れり尽くせりの毎日だったようだ。なにしろブルーミングデールは大手デパートチェーンのオーナーにして、ロナルド・レーガン大統領のタニマチをしている大富豪なのだ。宝石類はもちろん、毛皮から車から何でも手に入った。その代償としてヴィッキーが提供したのは「SMプレイ」だったと伝えられている。相手はブルーミングデールだけではなかった。誰とは云わないが、様々な政府高官が彼女との乱交パーティーを楽しんでいた(という噂)。
そんな彼女が転機を迎えたのは1982年のことだった。パパさんのブルーミングデールが喉頭癌を患って入院し、月々1万ドルのお手当てが支給されなくなったのだ。奥方のベッツィーに差し止められてしまったのである。
これに対してヴィッキーは、500万ドルの同棲解消手当を求める訴訟を提起した。間もなく金額は倍につり上げられた。1000万ドルである。いくらなんでも法外だ。
そんな騒動の中、パパさんのブルーミングデールは息を引き取るが、ヴィッキーには勝算があったようだ。なにしろ彼女は政界の裏事情に精通していたのだから。あの人が、こんなことも、あんなこともしたことを彼女は知っていたのだ。記録したビデオまであると彼女は公言した。しかし、法廷は彼女に冷たかった。1000万ドルとはほど遠い20万ドルで和解することを提案したのである。
とりあえず和解に応じたヴィッキーは、ロスの高級マンションを引き払い、サンフランシスコのアパートに引っ越して、暴露本の準備に取りかかった。そんな最中に彼女は殺されたのである。1983年7月7日のことである。
手を下したのは同居人のマーヴィン・パンコーストというゲイの男だった。自ら警察署に出向いて自首したわけだが、そんな彼が語った殺しの動機は、
「金欠の不平を毎日のように訴えられてウザかったから」
だからといって野球のバットで殴り殺すだろうか? 陰謀説が囁かれるのも宜なるかな。おそらくヴィッキーは暴露本ゆえに殺されたのだろう。しかし、下手人のパンコーストが1991年にエイズのために死亡してしまった今、真相は永遠に闇の中である。
(2010年2月17日/岸田裁月) |