エルヴィン・ミコライチク
犯行現場 |
ボン近郊の町、オイスキルヒェン在住のエルヴィン・ミコライチク(39)は一風変わった男だった。軍服マニアでガンマニア、おまけにラバーブーツの収集癖があった。ゴムフェチというやつなのだろう。その数は実に140にも及んでいたというから、いやはやなんとも、大したフェチである。
そんなミコライチクがガールフレンドから暴行を理由に訴えられたのは1993年の暮れのことだった。裁判所は有罪と認定し、彼に罰金として7200マルクの支払いを命じた。
ミコライチクはこれに不服を申し立てた。しかし、1994年3月9日に彼の主張は却下された。怒り狂ったミコライチクは一旦は法廷を後にし、数分後に戻って来た。背中には黒いリュックが、右手には拳銃が握られていた。
奇妙なのは、その首にニンニクで作った首飾りが掛けられていたことだ。なんでニンニク? この男は判事のことを吸血鬼か何かかと思ったのかしら?
とにかく、ミコライチクは入廷するなり判事に1発、2人の弁護士に1発ずつ御見舞いし、死に至らしめた。法廷内は大騒ぎになった。或る者は出口に走り、また或る者は床に屈み、また或る者は2階であるにも拘らず窓から飛び降りた。
飛び降りた者は正解だった。その後も発砲し続けたミコライチクは、弾がなくなると、リュックから何かを取り出して火をつけた。
ダイナマイトだった。
この爆発によりミコライチクはバラバラに飛び散り、彼を訴えたガールフレンドとその母親を含む3人が死亡した。結果、ミコライチクを除けば6人が死亡、8人が重傷を負う大惨事となった。
しかし、それにしても大それたことをしてくれたものだ。最後には大爆発って、まるでショッカーの怪人ではないか。
現場となったオイスキルヒェン地方裁判所のアドレスは以下の通り。
「Amtsgericht Euskirchen, Euskirchen, Germany」
この事件を機にドイツでは裁判所への銃の持ち込みは一切禁止になったという。当り前といえば当り前だ。
(2011年2月22日/岸田裁月) |