アイオワ大学物理学部の留学生、北京生まれのガング・ルー(28)は優秀な学生だった。しかし、やさしさには欠けていた。極めて自己中心的で、短気な性格だったのだ。かつてのルームメイトは語る。
「彼はいつも笑みを湛えていたけれど、その笑顔の裏にはナイフが隠されていました。私は彼が嫌いでした。本当に嫌いでした」
2回も繰り返すとは、よほど嫌なことがあったのだろう。
1991年5月、ルーは念願の博士号を取得したが、同時に不満も抱えることになった。彼の博士論文が優秀賞の候補にさえ挙がらなかったのだ。その栄誉と2500ドルの賞金を手にしたのは同郷の留学生、リンファ・シャンだった。
「おかしいじゃないですか! あいつの何処が僕より優れているというんですか!?」
ルーは理事たちに選考の見直しを求めた。
「君のそういう態度がいかんのだよ」
と窘められたのかどうかは知らないが、とにかく彼の直訴は却下された。それでもルーは諦めず、学務部副部長のアン・クリアリーに理事の不公正を訴えた。そして、新聞各紙にアイオワ大学の不公正を告発する手紙を書き送ったのである。
「この問題に対する公正な解決が見出されるまで、如何なる代償でも辞さぬ覚悟で追求する」
いやはや、こうなるともうナントカと紙一重だね。
火種が燻り続けたまま月日は流れ、そして運命の日を迎えた。1991年11月1日金曜日、午後3時30分。物理学部では3階の教室で定例のセミナーが行われていた。すると、そこにブリーフケースを下げたコート姿のルーが現れて、無言のまま38口径のリボルバーを発砲した。
クリストフ・K・ゴーツ(教授・ルーの指導教官)
ロバート・アラン・スミス(准教授)
リンファ・シャン(前述の留学生)
3人を狙い撃ちにした後、階段を駆け下りて学部長室に向かった。
ドワイト・R・ニコルソン(物理学部長)
頭に2発の銃弾を撃ち込んだ後、ルーは先ほどの教室に取って返した。学生たちが教授の一人を介抱している。まだ生きているようだ。
「お前らに用はない! 出て行け!」
学生たちを追い出すと、頭に1発撃ち込んで息の根を止めた。そして、ついでとばかりに残りの2人にも1発づつ撃ち込んだ後、雪が降りしきる中を大学本部へと向かった。狙いはもちろん訴えを無視したアン・クリアリー学務部副部長である。彼女を殺害する際に受付のマイヤ・ロドルフ=シオソンを巻き添えにしている。彼女は一命は取り留めたが、首から下が麻痺してしまった。
警察が駆けつけた時にはルーは会議室で死んでいた。自ら頭を撃ち抜いたのだ。彼のブリーフケースには遺書が入っていた。
「銃は全ての人間を平等にする。銃さえあれば、非力な個人でもマフィアや、あるいは腐敗した大学理事たちのような組織にも立ち向かえるのだ。今、一人のカウボーイが小柄な男を苦しめる悪党どもに戦いを挑んでいる」
ああ、さいですか。
この男は最後の最後まで己れが被害者で、且つ巨悪を退治した英雄だと思い込んでいる。しかし、実際には加害者でしかないのだ。選考にクレームをつけた時からずっと。
(2009年3月27日/岸田裁月) |