ケベック州はそもそもフランス人が入植した土地であり、故に今日でもフランス語が公用語である。カナダからの独立を求める声は今もなお根強く、1970年頃には「ケベック解放戦線」なる過激派組織のテロも相次いでいた。本件の主人公、ドニ・ロルティ伍長もまた連邦政府に不満を抱く一人である。
ドニ・ロルティはカナダ軍の供給担当下士官だった。世間に対して訴えたいことが山ほどあった彼は、休みを取って州議会のあるケベック・シティへと出向いた。
1984年5月8日午前9時30分、軍服姿の彼はラジオ局CJRPに立ち寄り、担当者に封筒を手渡して云った。
「10時30分まで開けないように」
しかし、担当者はロルティが立ち去るや否や封を開いた。中には犯行声明を録音したカセットテープが入っていた。州議会を襲撃するつもりなのだ。こいつは大変だ。担当者は直ちに警察に通報した。
一方、その頃のロルティ伍長はサブマシンガンを携えて州議会に闖入し、手当り次第に銃撃していた。最終的に3人が死亡、13人が負傷。いずれも州の職員だった。議会がまだ始まっていなかったために、肝心の議長や議員たちを一人も殺めることは出来なかったのだ。些か間抜けな伍長である。
なお、彼は職員を撃つ際に、このように詫びを入れていたという。
「申し訳ないが撃たなければならない。でも、これが人生だ」
そんな人生、まっぴら御免だ。
結局、ロルティ伍長は4時間に及ぶ籠城の末に、守衛官のルネ・ジャベールの説得に応じて降伏した。一旦は第一級殺人で有罪判決が下されたものの、手続上の不備が指摘されて、再審では第二級殺人に留まる。終身刑が宣告されるも、1995年12月に仮釈放されている。
いいのか? 出しちゃって。
(2009年3月21日/岸田裁月) |