1920年代初頭のロシアでは、度重なる内戦と飢饉のために人々の暮らしは極めて逼迫していた。喰うや喰わずの毎日で、生きているだけで精一杯だった。そんな中で良からぬビジネスを始める輩が現れるのは世の常である。一見朴訥な男、ヴァシリ・コマロフもその1人だ。
1921年から1923年にかけて、モスクワでは「モスクワの狼」と呼ばれる連続殺人犯が暗躍していた。犠牲者はいずれも男性で、ローストチキンのように縛られて、袋に詰められてゴミ捨て場に遺棄されていた。判明しているだけでも21件。犯行には規則性があり、遺体が遺棄されるのは決まって木曜日か土曜日だった。
この規則性に注目した警察は、間もなく馬取引の関係者に当たりをつけた。馬の競り市が開かれるのが水曜日と金曜日だからだ。そして、最終的に辿り着いたのが、馬の飼育を生業とするヴァシリ・コマロフだった。評判のよい温厚な男だが、激しい気性の持ち主としても知られ、或る時などは8歳の息子の首を絞め、妻が止めなければ殺してしまうところだったという。密造酒の捜査と偽って彼の厩舎に立ち入ったところ、出来立てのほやほやの遺体を発見。かくして「モスクワの狼」は遂にお縄になった次第である。
「最初に殺したのは値切りやがったしみったれだよ。カッとなって、気がついたらハンマーで頭を殴っていた。それ以来だね。これを副業にするようになったのは」
などと嘯くこの男が手に掛けた者は、記憶によれば33人にも及んだ。うち5人は厩舎裏に埋められていた。残りはゴミ捨て場に遺棄するか、川に流したという。その犯行はいつも同じだ。競り市に出掛けては「安く譲るよ」と持ちかけて、厩舎に誘うやドタマをかち割るのだ。
ちなみに、彼が奪った金は1人につき1ドルにも満たなかった。だからこそ数をこなさなければならなかったのである。
「もう52歳だ。十分に生きたよ。今度はおいらが袋詰めになる番だ」
さばさばとした面持ちで裁判に臨んだコマロフであったが、いざ死刑判決が下されると上告したのはやはり死にたくないからか。しかし、判決は覆ることなく、1923年6月18日に処刑された。
(2009年3月9日/岸田裁月) |