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ジョン・ジャウバート
John Joubert (アメリカ)



ジョン・ジャウバート

 1982年8月22日、メイン州ポートランドでの出来事である。金髪の愛らしい少年、リッキー・ステットソン(11)はいつものようにジョギングに出掛けた。それっきり、夜中になっても帰って来ない。翌日、リッキーの無残な遺体がハイウェイ脇の斜面で発見された。衣服を脱がそうとした形跡はあるが、性的虐待は受けていない。首を絞められた上、胸をナイフで何度も刺されていた。また、遺体には犯人のものと思しき歯形が残されていた。

 捜査が進展しないまま1年が過ぎた1983年9月18日、今度はネブラスカ州の最東部、オファット空軍基地があることで知られているベルヴューで類似事件が発生した。
 茶髪の愛らしい少年、ダニー・ジョー・エバリー(13)はいつものように早朝から新聞配達に出掛けた。それっきり、夜中になっても帰って来ない。ダニーは3軒目までは配達していたが、4軒目はまだだった。その家のそばには彼の自転車と残りの新聞が放置されていた。

 3日後、自宅から6kmほど離れた草むらで、ダニーの無残な遺体が発見された。手足を縛られ、口にはサージカルテープが貼られている。着衣はパンツだけだった。但し、性的虐待の形跡はない。胸と背中に複数の刺し傷があり、喉も掻き切られていた。
 奇妙なのは、肩と左のふくらはぎの肉が抉り取られていることだ。この点、地元警察から協力を要請されたFBI特別捜査官、ロバート・K・レスラーはこのように推理している。
「歯形を残さないために抉り取ったのではないだろうか?」
 性犯罪においては、犯人が興奮して被害者を噛むことはよくあるのだ。

 ダニーの兄は、新聞配達中に黄褐色の車に乗った若い白人の男に何度か尾行されたことがあると証言した。他にも類似の目撃証言がいくつも寄せられている。つまり、この町には少年を専門につけ狙う殺人鬼が潜伏しているのだ。彼奴は今後も犯行を重ねることだろう。早急な逮捕が望まれたが、捜査は一向に進展しなかった。

 2ケ月半後の12月2日、悪い予感は現実のものとなった。ベルヴューの西10kmの町パピリオンで、オファット空軍基地に勤務する将校の息子で、金髪の愛らしい少年、クリストファー・ウォルデン(12)が通学途中に行方不明になった。若い白人の男が運転する黄褐色の車に乗り込んだのが最後の目撃情報だった。
 彼の遺体は3日後に、誘拐された場所から8kmほど離れた森の中で発見された。着衣はやはりパンツだけで、複数の刺し傷。しかも、このたびは頭が切断されるほどに喉を深く切られていた。

 明けて1984年1月11日、ベルヴューの託児所に勤務する女性職員が、辺りをうろつく不審な車に気づいた。車の色は黄褐色ではなかったが、運転手の風体は例の事件の容疑者として手配中の男にそっくりだった。彼女は車のナンバーをメモに控えた。すると、それに気づいた男は車を停めて、こちらにズンズン迫って来るではないか!
「そのメモをよこせ!」
 彼女は慌てて隣の建物に逃げ込み、そこで警察に通報した。
 かくして男の名は割れた。オファット空軍基地に勤務する下士官、ジョン・ジャウバート(21)だった。彼が乗っていたのは修理工場により貸し出された車で、目下修理中の彼の車は黄褐色だった。彼の宿舎を捜索したところ、ダニーを縛っていたのと同じ縄が見つかった。それは韓国製で、国内では極めて稀なものだった。
 かくしてジャウバートは翌日の1月12日に逮捕された。


 ジョン・ジャウバートは1963年7月2日、マサチューセッツ州ローレンスで生まれた。記憶にある最初の空想は6、7歳頃のもので、ベビーシッターを背後から襲って首を絞め、食べてしまうという凄まじいものだった。どうしてそのような空想を抱いたのかは知る由もない。ロバート・K・レスラーも著書『FBI心理分析官』の中でこのように述べている。
「この年齢でこのような凶暴な空想を抱くことは珍しい。これはきわめて刺激的なもので、ジャウバートは幼少期から思春期、さらに犯行当時までこの空想を忘れず、これに手を加えていった」
 父親はレストランのウェイター、母親は病院職員だった。ごく普通の家庭に生まれ育った彼がどうしてそのような空想に囚われたのか? ひょっとしたら6歳の時に両親が別居したことと関係があるのかも知れない。

 両親が正式に離婚したのはジャウバートが10歳の時だった。彼は母親に引き取られて、メイン州ポートランドに移り住んだ。最初の犯行があった土地である。
 彼はこの地で母親に虐待されて育った。母親は何かと癇癪を起し、彼のことを罵倒した。父親に会うことも許されなかった。そんな中でジャウバートは空想をエスカレートさせて行った。対象はいつの間にか若い女性から少年へと変わっていた。少年を絞め殺し、ナイフで滅多刺しにすることを空想して自慰に耽っていたのである。

 ジャウバートが初めて人に危害を加えたのは13歳の時だった。自転車に乗りながら少女に背後から迫り、その背中に鉛筆を突き刺したのである。動機は同性愛的な関係にあった年下の少年が引っ越してしまったことへの腹いせだった。この件で捕まらなかったことに気をよくした彼は、翌日には別の少女にカミソリで切りつけている。類似の事件がこの頃のポートランドで頻発しているが、残念なことにジャウバートが検挙されることはなかった。

 やがてハイスクールを卒業したジャウバートはバーモント州の私立大学に進学するが、1年後には早くも退学してしまう。何故か? 夏休みに帰郷した折りにリッキー・ステットソンを殺してしまったからである。前述の通り、1982年8月22日のことである。さすがにこれはヤバいと思ったのだろう。姿をくらますためなのか、直後に空軍に入隊している。そして、その1年後の1983年夏に配属されたのがネブラスカ州のオファット空軍基地だった。彼がこの地で再び犯行に及んだのは、同性愛的な関係にあった同僚のルームメイトが噂を気にして部屋を移った直後だった。またしても腹いせによる犯行だったのだ。


 ネブラスカ州での2件で死刑を宣告されたジャウバートは、1996年7月17日に電気椅子により処刑された。33歳だった。
 処刑前に彼に面会したロバート・K・レスラーは、別れる際にこのように頼まれたという。
「犯行現場の写真をくれませんか?」
 おそらく自慰のおかずとして使うつもりなのだろう。レスラー氏はこう答えた。
「その依頼には応じかねます」
 そりゃそうだよね。

(2010年12月13日/岸田裁月) 


参考資料

『FBI心理分析官』ロバート・K・レスラー&トムシャットマン著(早川書房)
http://en.wikipedia.org/wiki/John_Joubert_(criminal)
http://www.francesfarmersrevenge.com/stuff/serialkillers/joubert.htm


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