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ジニーン・ジョーンズ
Genene Jones (アメリカ)



ジニーン・ジョーンズ

 1981年5月から12月にかけて、テキサス州サン・アントニオにあるベクサー病院の小児科病棟では、予期せぬ心臓停止やありえない出血が相次いでいた。既に20名もの児童が集中治療室で死亡している。これはただごとではないと調査に乗り出した病院は、児童に投与されていた点滴の中に抗凝血剤が混入されていたことを突き止めた。
 なんてこった!
 こりゃ事故なんかじゃない。殺人事件だ!
 直ちに疑われたのが看護婦のジニーン・ジョーンズ(31)だった。彼女が勤務していた午後3時から11時までの間に死が集中していたのだ。そして、彼女が非番の日にはトラブルは何一つ起こらなかったのである。

 ところが、彼女には動機らしいものは見当たらなかった。極めて勤勉且つ優秀な看護婦で、その行動力と決断力の早さには定評があった。患者からも慕われていた。ほぼパーフェクトと云っていい看護婦だったのだ。
 但し、彼女には医師の指示を無視する傾向があった。自分の方が優れていると思っていたようだ。しばしば直感的に行動した。それが適切だったために、彼女は現場から一目置かれていたのである。
 また、児童の命が助からなかった時の悲しみ様は人一倍だった。泣きじゃくりながら遺体をいつまでも揺さぶっていた。そんな彼女が殺人者だって? とてもじゃないが信じられない話である。

 それでも病院側の調査の結果は揺るがなかった。但し、患者側からの訴訟を恐れた病院は明確な結論を避け、ジニーン・ジョーンズを解雇することで一件落着とした。つまり、事件を揉み消してしまったのである。酷い話である。

 ジョーンズはその後、サン・アントニオ近郊カーヴィルで、キャスリーン・ホランドが経営する小児クリニックに看護婦としての職を得る。その直後からこのクリニックで予期せぬ心臓停止が相次いだことは云うまでもない。そのたびにジョーンズは極めて適切に蘇生術を施していた。

 1982年9月、17ケ月のチェルシー・マクラレンがジョーンズにより予防接種の注射を受けた直後に呼吸困難に陥り、緊急治療のためにサン・アントニオの病院へと運ばれる途中で死亡した。その際、ジョーンズは自らも救急車に乗り込み、献身的に看護していた。そして、搬入先のベクサー病院でも、恰も彼女が責任者であるかの如く振る舞い、あれこれと指示していたという。この姿を目撃したかつての同僚たちは答えを見つけた思いがした。
「なるほど。これがしたかったが故に彼女は毒を盛っていたのか…」
 死にかけている幼気な命を救うことにジョーンズは何よりの喜びを見出していたのだ。そして、その喜びを味わうために、彼女は自ら進んで心臓停止の状態を生み出していたのである。事実、チェルシーの遺体からは筋弛緩剤サクシニルコリンが検出されている。信じられないことだが、これは紛れもない事実なのだ。

 かくして恐るべき白衣の天使、ジニーン・ジョーンズは翌1983年5月25日に逮捕され、チェルシー殺害の容疑で有罪となり、99年の刑が云い渡された。その後、別の児童に抗凝血剤を投与して死に至らしめた容疑でも有罪となり、60年の刑が加算されている。
 ちなみに、地元マスコミの報道によれば、その手に掛かった児童の合計は47人にも及ぶとされている。

(2009年4月30日/岸田裁月) 


参考文献

『連続殺人紳士録』ブライアン・レーン&ウィルフレッド・グレッグ著(中央アート出版社)
『LADY KILLERS』JOYCE ROBINS(CHANCELLOR PRESS)


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