移転しました。https://www.madisons.jp/murder/text3/johnson_patricia.html

 

パトリシア・ジョンソン
Patricia Johnson (アメリカ)



 1986年10月11日、インディアナ州ミシガンシティ近郊の町、トレイル・クリークでの出来事である。その日の未明、ジョンソン・ロード沿いの家から火の手が上がり、焼け跡から4人の遺体が発見された。

 ローランド・カービー(その家の主人)
 ベティ・カービー(ローランドの妻)
 ユージン・ジョンソン(ローランドの友人・50)
 テリー・ウォード(ローランドの友人・40)

 死因はいずれも一酸化炭素中毒による窒息死だった。
 出火の原因は当初は電気ショートと思われていたが、間もなく放火であることが判明した。家の周りにガソリンが撒かれていたのである。犯人は家人が中にいることを知っていたに違いない。故にこれは歴とした殺人行為である。

 間もなく捜査官は、死亡した4人が前日の晩にミシガンシティのバーにいたとの情報を得た。目撃者によれば、4人の他にも1組の男女が同席していて、激しく口論していたという。
 聞き込みを重ねるうちに、口論していたのはユージン・ジョンソンと、その妻のパトリシア・ジョンソン(44)であることが判明した。どうやらユージンとテリー・ウォードが不倫の関係にあり、そのことについて争っていたようだ。パトリシアは連れの男と店を出る際に、このようにつぶやいたという。
「I`m going to get that son-of-a-bitch.」
 殺してやるという趣旨なのだろうか?

 パトリシアが連れていたのはロジャー・グリフィンという男だった。パトリシアとの関係は詳らかではないが、愛人ではないようだ。そりゃそうだろう。愛人であるのならばダブル不倫になるわけで、パトリシアが一方的に責め立てる謂れはない。

 最初に口を割ったのはロジャーの方だった。バーを出た直後に車を借りて、パトリシアをカービー夫妻の家まで送ったことを認めた。
 間もなくパトリシアも渋々ながらも放火したことを認めた。それは激情に駆られた挙げ句の犯行だった。

 かくしてパトリシア・ジョンソンは4件の殺人で有罪となり、それぞれにつき40年の刑が云い渡された。
 一方、ロジャー・グリフィンは殺人幇助でのみ有罪となり、刑は10年に留まった。

(2011年5月26日/岸田裁月) 


参考資料

『THE ENCYCLOPEDIA OF MASS MURDER』BRIAN LANE & WILFRED GREGG(HEADLINE)
http://www.trutv.com/library/crime/notorious_murders/mass/female_mass_murderer/10.html
http://www.highbeam.com/doc/1N1-10853B4B584AA376.html


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