1954年12月2日、インディアナ州南西部の街、エヴァンズヴィルにおいて、酒屋を経営するメアリー・ホランド(33)が殺害された。彼女は店の休憩室で後ろ手に縛られて、銃で頭を撃たれていた。恨みを買うような人ではない。故に物盗りの犯行と思われた。
なお、痛ましいことに彼女は妊娠中だった。つまり犯人は胎児も含めて2人殺したことになる。如何にも凶悪な犯行である。
3週間後の12月23日、やはりエヴァンズヴィルのガソリンスタンドにおいて、店員のウェスリー・カー(29)が殺害された。彼もまた休憩室で後ろ手に縛られて、銃で頭を撃たれていた。レジスターの中身は空である。同一犯の犯行である可能性が高い。弾道検査の結果、両名を殺害した38口径は同じ銃から発射されたものであることが判明した。
間もなくマスコミにより「狂犬(Mad Dog)」と命名された犯人には1000ドルの懸賞金が掛けられた。しかし、逮捕に繋がる有力な情報は一向に得られなかった。
3ケ月後の1955年3月21日、エヴァンズヴィル近郊のマウントバーノンにおいて、農場主の妻、ウィルヘルミナ・セイラー(47)が殺害された。遺体を発見したのは学校から帰宅した7歳の息子だった。正午過ぎのことである。彼女もまた後ろ手に縛られて、銃で頭を撃たれていた。あの「狂犬」の仕業に違いない。付近一帯は震え上がった。
1週間後の3月28日、ケンタッキー州ヘンダーソンの農家において、主人のゲーベル・ダンカンと息子のレイモンド、嫁のエリザベス(但し、結婚していたのは別の息子)の3人が殺害された。いずれも銃で頭を撃たれていた。
ダンカンの妻もまた撃たれていたが、彼女は幸いにも一命を取り留め、2日後には意識を取り戻した。しかし、ショックのために事件当時のことを思い出すことは出来なかった。
遺体が発見された時、現場ではダンカンの2歳になる孫が泣き叫んでいたという。犯人は「狂犬」には違いないが、子供には噛みつかなかったようだ。
ちなみに、犯行現場は州は違えど、直線距離にして10kmほどしかエヴァンズヴィルから離れていない。ほとんど隣町である。
近隣の聞き込みにより、事件当日のダンカン家の前には黒い車が停まっていたことが判明した。やがて地元の自警団は道端に停まる黒い車を発見した。運転手は中で寝ている。トントンと窓をノックすると、起きた運転手は慌てて車を発進。その場から逃げ去った。自警団はナンバーを控えていた。
「EL351」
イリノイ州のナンバーだった。
間もなく登録者の名前が割れた。レスリー・アーヴィン(30)。強盗の容疑で9年間服役し、仮釈放中の男だった。
1955年4月8日、アーヴィンはインディアナ州ヤンキータウンの勤務先で逮捕された。彼は火力発電所の配管技師として働いていた。
同年12月20日、アーヴィンはインディアナ州での件で有罪となり、死刑を宣告された。処刑は翌1956年6月12日に執り行われる予定だった。ところが、1月21日に刑務所から脱走。そして、2月9日にサンフランシスコの質屋で強盗容疑で逮捕された。その際にアーヴィンは自慢げに、このように名乗ったと伝えられている。
「俺様はレスリー・アーヴィンだ。インディアナ州では6人殺して指名手配されている」
だが、サンフランシスコの警官はレスリー・アーヴィンなぞ知らなかった。谷啓のギャグじゃないが、
「あんた誰?」
という状態だったという。そりゃそうだよなあ。広いもん、アメリカは。
地元では「狂犬」と恐れられた殺人者は、西海岸では全くの無名だった。しかし、彼を移送する汽車は「マッド・ドッグ・トレイン」と称されて、地元では大騒ぎになったそうだ。インディアナ州限定のアイドルだったのだな。
その後、終身刑に減刑されたアーヴィンは、1983年11月9日に肺癌で死亡した。59歳だった。
(2011年5月25日/岸田裁月) |