ロンドン郊外ブレイントゥリーの「バーン・レストラン」は地元では有名なナイトスポットだった。看板にはこのような文句が踊る。
「コーヒー、グリル。ランチ、ディナー。午前10時開店、バーン・レストラン。食事は午後11時30分まで。音楽とダンスの夕べ。生演奏付きで午前2時まで。キャバレー・ナイトは木金土。日曜日はバンド・ショー(午前0時まで)」
オーナーのボブ・ペイシェンスはなかなかのやり手だった。1962年に街道沿いの地味な食堂を買い取ると、オーク材の梁やアンティークのランプ、真鍮の調度品、動物の剥製などで装飾し、ネオン看板で客を呼び寄せた。これが当たった。特にディナーを楽しみながらのダンス・ショーは評判となり、土曜日などは団体客がマイクロバスで押し寄せるほどだ。10年後には店の裏手にモーテルを36室も増築するほどに繁盛していた。
1972年11月4日土曜日、店はいつものように大入り満員。オーナーのペイシェンスは店内を歩き回り、客に愛想を振りまいていた。
午前2時、キャバレーがお開きになると、店を切り盛りしていたオーナー夫人のミュリエルと娘のビヴァリー(20)は近くの家に帰宅した。飼い犬に餌をやらなければならない。キッチンの明かりをつけると、そこには2人の男がいた。ビヴァリーは思わず悲鳴を上げた。
「静かにしろ!」
拳銃を構えた金髪の男が云った。その眼は青く、斜視だった。
「あんたらに用はない。おとなしくしていれば手出しはしない」
もう1人の黒髪の男は始終押し黙ったままだった。
居間に行くように命じられたビヴァリーは、動揺する母親を宥めながら居間のソファに腰掛けた。やがてミュリエルが訊ねた。
「あなたたち、何が欲しいの?」
「黙れ!」
拳銃の男は怒鳴り返した。そして、ソファの上のクッションを銃口にあてて云った。
「静かにしてろよ。こうやって撃てば、音はしないんだぜ」
ビヴァリーは男にヨークシャー訛りがあることに気づいた。
午前2時15分、主人のボブ・ペイシェンスが帰宅した。彼は居間に入るなり叫んだ。
「いったい何をやっているんだ!」
ミュリエルが叫んだ。
「あなた、何もしないで! この人たち、銃を持ってるのよ!」
拳銃の男に座るように指示されて、ペイシェンスは渋々ソファに腰掛けた。男は訊ねた。
「金庫の鍵は何処だ?」
「金庫の鍵? 鍵なら店の中だ」
「嘘つけ!」
「本当だ。それに金庫の中には金はない」
「嘘をつくなと云ってるんだ!」
「ほら、音楽が聞こえるだろ?」
ペイシェンスは店の方を指差した。店ではまだ演奏が続いていた。
「連中にギャラを払わなければならないんだ。俺が行かないと、ここに探しに来るぜ」
「……」
「何なら一緒にレストランに行こうか?」
後から思えば、ペイシェンスのこのような挑発的な態度がいけなかった。男は怒りを堪えながら云った。
「馬鹿なこと云ってんじゃねえよ、ボブ。さっさと鍵を出しな」
「だから、店にあると云ってるだろう」
ここでミュリエルが口を挟んだ。
「あなた、今、ボブって云ったわね? 主人の名前を知ってるのね?」
しばしの沈黙の後、男はポツリと云った。
「いろいろと家庭の事情があるのさ」
男は先ほどのクッションを手に取ると、銃口に押しつけて云った。
「女房から殺ろうか? それとも娘からか?」
それでもペイシェンスは鍵の在り処を吐かなかった。
「女房からだな、やっぱり」
そう云うと、男はいきなり発砲した。ミュリエルは右のこめかみから鮮血を迸らせて崩れ落ちた。
「女房を殺りやがったな!」
「もう一度訊く。金庫の鍵は何処だ?」
さすがに観念したペイシェンスは、暖炉の上の鉢から鍵を取り出し、金庫を開けた。そして、手前にあるカバンを出して横に置き、奥にある銀行の袋を男の足元に放り投げた。その中にはおよそ900ポンドの現金や小切手、伝票等が入っていた。
ペイシェンスはカバンを金庫の中に戻した。実はその中には宝石類が入っていたのだが、男は足元の袋にしか興味を示さなかった。また、金庫には秘密の仕切りがあり、中には7000ポンドもの現金が眠っていたのだが、男は金庫の中を調べようともしなかった。このことから、犯人はプロの強盗ではないことが判る。否。そもそも顔を隠していない時点でシロウトまるだしだ。
一方、もう1人の男はキッチンからタオルを持って来て、ミュリエルの手当をしていた。彼もまた被害者たちと同様に、相棒が突然発砲したことに動揺しているようだった。
拳銃の男は傷を一瞥して云った。
「死にゃしないさ。こんな傷なら今までうんざりするほど見てきたぜ」
ペイシェンスは男に頼み込んだ。
「もう用は済んだだろう? お願いだから救急車を呼んでくれ!」
しかし、男は聞き入れず、2人を縛り上げて床にうつ伏せにした。そして、再びクッションを手に取ると、ビヴァリーの背中に銃を向けて発砲した。
「ああ、なんてこった!」
続けざまにペイシェンスの頭にも銃を向けて引き金を引いた。如何にも冷血な犯行である。おそらく拳銃の男はペイシェンスの態度に相当腹を立てていたのだろう。素直に金庫を開けていれば、銃撃されることはなかったかも知れない。いずれにしても、この2人組は息子のデヴィッドのフォルクスワーゲンを拝借すると、その場から脱兎の如く走り去ったのである。その際、客待ちをしていたマイクロバスの運転手が危うく轢かれそうになっている。
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