1974年12月31日、イングランド北西部の都市マンチェスターにおいて、ジャネット・スチュワートという15歳の少女が殺害された。犯人はトレヴァー・ハーディーという27歳の若者だった。ナイフで滅多刺しにした挙げ句、穴を掘って埋めたのだ。故に彼女の遺体はハーディーが逮捕されるまで発見されなかった。
なお、ジャネットを埋める際にハーディーは、彼女の指輪を奪い取り、それをガールフレンドにプレゼントしている。最低な男である。
ハーディーが次に犯行に及んだのは1975年7月のことだった。ホテルでのウェイトレスの仕事を終えて帰宅途中の18歳の少女、ワンダ・スカラの頭をブロックで殴りつけ、姦淫した後にナイフで滅多刺しにした。遺体は建設現場に遺棄されていた。
おバカなハーディーは己れの「武勇伝」(と思っていることがバカの証拠)を弟に自慢した。その弟の通報により一旦は逮捕されたわけだが、やがてアリバイが成立したために釈放された。そのアリバイを証言したのはハーディーの友人。嘘八百であったことは云うまでもない。
最後の犯行は1976年3月のことである。パーティーを終えて帰宅途中の17歳の少女、シャロン・モーソフに襲い掛かり、同様に滅多刺しにしたのである。
ハーディーが再び逮捕されたのは8月になってからだった。ようやく観念した彼は、ワンダ・スカラの件と併せてジェネット・スチュワートの件も自供した。しかし、己れの犯行は謀殺ではなく故殺だと主張した。そう主張することで少しでも刑を軽くしようとしたのだろうが、陪審員はそれを認めず、終身刑が云い渡された。当然の報いである。
(2010年12月11日/岸田裁月) |