20世紀初頭、ワシントン州の港町アバディーンでの出来事である。長い航海を終えて港に辿り着いた船員たちがまず足を運ぶのが「太平洋水夫組合」の事務所だった。彼らはそこで手紙を受け取り、稼ぎのいくらかを預けてから夜の町へと繰り出すのだ。そこで事務員をしていたのがビリー・ゴールに他ならない。元バーテンダーのこの男は愛想のいい男として知られていた。しかし、愛想がいいのも道理。彼は言葉巧みに情報を聞き出し、獲物を入念に選んでいたのである。
それなりの金品を持っていること。
近くに家族や友達がいないこと。
以上2つの条件を満たした者は、運が悪ければ(つまり、他に来客がいなければ)その場で射殺され、身ぐるみを剥がされた挙げ句、ダストシュートで建物の裏手に流れるウィッシュカー川へと遺棄されたのである。その数は少なくとも43人に及ぶと見られている。
結局、1912年になってようやく目撃者が現れてお縄になったわけだが、最後の2件でのみ裁かれるに留まった。また、本来ならば死刑が相当にも拘らず、ワシントン州では当時、死刑を廃止していたために終身刑に留まった。随分とラッキーな男である。こいつのせいでワシントン州では死刑が復活したというから、同業者にとっては甚だ迷惑な男である。
まんまと死刑を免れた男、ビリー・ゴールは後に癲狂院に収容されて、1928年に狂死した。犯行についてはダンマリを決め込んでいたため、その詳細は殆ど何も判っていない。
(2009年2月27日/岸田裁月) |