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ドナルド・ギャスキンズ
Donald "Pee Wee" Gaskins (アメリカ)



ドナルド・ギャスキンズ(通称ピーウィー)

 少なくとも100人は殺したと豪語するドナルド・ギャスキンズは身長163cmの小柄な男だった。故にピーウィー(ちび)と呼ばれた。そして、ピーウィーであるが故に殺人者となった。少しでも己れを大きく見せるために殺さなければならなかったのだ。そして、殺した途端に己れを神だと錯覚した。つまり、己れの大きさを見誤ったのだ。100人という数もおそらくハッタリだろう。しかし、かなりの数を殺していることは間違いない。

 1933年3月13日、サウスカロライナ州フローレンス郡に生まれたギャスキンズの生い立ちは、連続殺人者の典型例である。私生児として生まれ、入れ替わり立ち替わり現れる母親の愛人にド突かれて育った。学校に上がるまでは自分の本当の名前を知らなかった。ずっとピーウィーだと思っていたのだ。
 11歳で学校を辞めたピーウィーは、自動車の修理工場で働く傍ら、窃盗や性犯罪にも手を染め始めた。そして1946年に同い年の少女を斧で襲って逮捕される。
 少年院では小柄な彼は格好のおもちゃだった。毎日のように誰かしらの慰み者にされた。カマを掘られたのである。やがてピーウィーは「牢名主」専用の愛人になることで身を守るすべを憶える。そして何度も脱獄を図り、そのたびに看守にボコボコにされた。

 少年院と娑婆を行き来する青春時代を過ごしたピーウィーが最初に殺人を犯したのは少年院の中だった。これ以上カマを掘られることに耐えられなかった彼は、最も嫌われている看守の喉を掻き切ることで、一挙に一目置かれる存在に成り上がったのである。刑期は延びたが、そんなことはへっちゃらだった。脱走すればいいのだ。今やピーウィーを馬鹿にする者はいない。彼は看守を殺すことで等身大以上の姿を獲得したのである。

 ピーウィーはその後も相変わらずの人生を送っていたわけだが、その連続殺人が発覚したのは1976年1月になってからだ。13歳の少女の失踪事件を捜査していた警察が最終的に行き着いたのが彼だったのだ。そのアパートからは彼女の衣服が発見された。まもなく共犯者のウォルター・ニーリーが口を割り、彼が指示した場所からは8つの遺体(うち1人は幼女)が発掘されて吃驚仰天した次第である。

 かくしてピーウィーには死刑判決が下されたが、当時の死刑廃止の風潮に従い終身刑に減刑された。なあんだ、死刑にならないのか。気をよくした彼は、あろうことか刑務所の中でも殺しを請け負う。両親を殺されたトニー・シモから、その下手人で同じ監房棟にいるルドルフ・タイナーの殺害を依頼されたのである。
 タイナーに言葉巧みに近づいたピーウィーはこんな話を持ちかけた。
「どうだい、兄弟。独房の中でも話が出来るようにインターコムを取りつけないか」
「そんなことが出来るのか?」
「無線だよ。ほら、この受信機を貸してやろう」
 実はその受信機には爆薬が仕掛けられていた。そして、独房の中で通信を始めた途端に爆発。タイナーの頭半分が吹き飛んだ。

 さすがに今度ばかりはおカミは許さなかった。再び死刑判決が下されて、1991年9月6日に電気椅子で処刑された。まさに人を殺すためだけに生まれてきたような男である。

(2009年2月20日/岸田裁月) 


参考文献

『連続殺人紳士録』ブライアン・レーン&ウィルフレッド・グレッグ著(中央アート出版社)


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