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ラリー・アイラー
Larry Eyler (アメリカ)



ラリー・アイラー

 さあ、これから諸君に鬼畜の所業をお見せしよう。これだけ死体が居並ぶと「もう、どんだけぇ〜」(既に死語)と声を上げたくなってしまう。

 1982年3月22日、ケンタッキー州レキシントン郊外の沿道でジェイ・レイノルズの遺体が発見された。死因は刺殺だった。
 1982年10月3日、インディアナ州インディアナポリス北部の沿道でデルヴォイド・ベイカー(14)の遺体が発見された。死因は絞殺だった。
 1982年10月23日、インディアナ州ローウェルでスティーヴン・クロケット(19)の遺体が発見された。驚くべきことに、32ケ所も刺されていた。滅多刺しとはまさにこのことだ。
 1982年11月6日、イリノイ州ジョリエットでロバート・フォリーの遺体が発見された。

 実はこの2日前の11月4日に、警察は犯人逮捕に結びつく手掛かりを逃していた。インディアナ州ローウェルでクレイグ・タウンゼンド(21)という青年が30代の男に暴行されて、命からがら逃げ出して病院で手当てを受けていたのだが、警察は早急に事情聴取を行わなかったのだ。警察の関与を嫌ったタウンゼンドは間もなく病院から逃げ出し、おかげで犯人の人相等がまったく掴めずに終わったのである。
 尤も、この時点では警察はまだ一連の事件は1人の男の仕業だと考えてはいなかった。3つの州を跨いでいるので、已むを得ないのかも知れない。

 1982年12月25日、インディアナ州ベルショウの空地でジョン・ジョンソン(25)の遺体が発見された。
 3日後の12月28日にはインディアナ州内で2つの遺体が発見された。ベルヴィルのジョン・ローチ(21)と、ニューポートのスティーヴン・エーガンである。
 翌1983年6月までに遺体は5つ増えていた。そのいくつかははらわたを抜き取られていたという。犯行の残虐性がエスカレートしている。

 1983年8月31日、イリノイ州レイク・フォレストでラルフ・カリスの遺体が発見された。物干し綱と外科用テープで縛られ、17ケ所も刺されていた。パンツが足首まで下げられていたことから、性的に虐待されたことは明らかだった。

 1983年9月30日、インディアナ州のハイウェイ・パトロールが65号線において、沿道に停車する1台のピックアップトラックに眼を止めた。脇には2人の男の姿が見える。眼を凝らしてよく見ると、なんと1人は縛られているではないか!
「おいおい、お前ら、何しとるんじゃい!」
 すると、縛られていない男の方が釈明した。
「いえいえ、これはプレイの一環でして…」
「プレイぃ?」
「はあ、ですから…その…」
「ははあん、あれか。お前ら、ゲイか?」
「まあ、そんなところで…」
「しかし、ここは公道だぞ。こんなところでプレイしちゃいかん! ちょっと署まで来てもらおう」
 かくしてしょっぴかれたピックアップトラックの持ち主の名はラリー・アイラー(31)。イリノイ州シカゴで愛人の男(とその妻子)と共に暮らすこの男には、1978年に若いヒッチハイカーを縛り上げて暴行したかどで逮捕された前科があった。ここでピンと来なければおまわりさん失格である。早速、トラックを調べたところ、ラルフ・カリスの件で用いられていたものと同じ物干し綱と外科用テープ、そして、人間の血が付着したハンティング・ナイフが見つかった。その血はカリスの血液型と一致した。また、トラックのタイヤ痕とアイラーが履いているブーツの足跡が、カリスの遺体発見現場に残されていたものと一致した。

 一方、一旦は釈放されたアイラーは、捜査が進んでいることなどお構いなしに犯行を続けた。
 4日後の1983年10月4日、ウィスコンシン州キノーシャでデリック・ハンセン(14)の遺体が発見された。このたびは手足を切断されていた。
 1983年10月15日、インディアナ州レンセリアで身元不明の若い男の遺体が発見された。
 1983年10月18日、インディアナ州ニュートンの廃農場で4つの遺体が発見された。云うまでもないが、いずれも若い男である。うち1人は首を切断されていた。。
 1983年12月5日、イリノイ州エフィンガムでまたもや身元不明の遺体が発見された。
 1983年12月7日、インディアナ州インディアナポリス郊外でリチャード・ウェインと身元不明の男の遺体が発見された…。
 いやはや、凄まじい頻度である。犯人はとち狂っているとしか思えない。

 この頃には警察は、唯一の生存者であるクレイグ・タウンゼンドの居所を突き止め、アイラーの犯行であることを確認していた。ホンボシと見て間違いないだろう。だが、一連の殺人事件で訴追するだけの証拠がない。そこでまず証拠が揃っているラルフ・カリスの件でのみ訴追することにした。
 ところが、どうしたものか、法廷において主な物的証拠が「違法収集証拠」として排除されてしまう。何故にそうなったのか、参考資料では詳らかではないが、とにかく、このままでは公判が維持できない。目処が立つまでアイラーは保釈されることになった、って釈放しちゃいけないんだってば。

 1984年5月7日、イリノイ州ザイオンでデヴィッド・ブロック(22)の遺体が発見された。状況は一連の事件とほとんど同じだ。あの野郎、また殺りやがったな! だから釈放しちゃいけなかったんだってば。

 捜査当局がようやく確証を得たのは1984年8月21日のことだった。アイラーが住むアパートの管理人が、ゴミ捨て場のゴミ袋の中からバラバラ死体を発見したのだ。どうやら飼い犬が臭いに気づいたらしい。遺体はダニー・ブリッジス(15)。彼の指紋と血痕はアイラーの部屋からも発見された。

 かくしてラリー・アイラーはダニー・ブリッジス殺害の容疑で有罪となり、死刑を宣告された。その後、アイラーは当局にこんな提案を持ちかけた。
「20件の余罪を認めてあげるから、終身刑に減刑しておくれ」
 虫がいいこと云ってんじゃないよと一蹴されて、間もなくエイズを発症したアイラーは、1994年3月6日に獄中で死亡した。結局、死刑は執行されなかったのだ。

(2009年12月15日/岸田裁月) 


参考資料

『世界殺人者名鑑』タイムライフ編(同朋舎出版)
http://www.francesfarmersrevenge.com/stuff/serialkillers/eyler.htm
http://www.users.on.net/~bundy23/wwom/eyler.htm


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