デヴィッド・アーリーはカンザス州のレヴンワース刑務所に服役中に、精神科医にこのように語っている。彼が如何なる罪で服役していたのかは参考文献には記されていない。
「出所したら、あの女の頭を踏みつけて、縛り上げて犯し、そして、殺してやるんだ」
「あの女」の部分は参考文献では「landlady」となっている。かつての下宿の大家の意か? とにかくアーリーは彼女に対して殺したいほどの憤怒を抱いていたようだが、それが如何なるものであったのかは詳らかではない。
彼はまたこのようにも語っている。
「俺の義理の叔父は弁護士なんだ。2人の子供がいる。この子供を人質にして殺すと脅せばいい金になるぜ」
彼はまたこのようにも語っている。
「ここから出たら、金のために人を殺すこともあるだろうな。必要ならばね」
このような男を釈放してはいけないのだが、刑期の定めがある以上、釈放せざるを得ない。そして、1958年4月22日に釈放されてしまった。「必要ならばね」と語った1年後のことである。
アーリーはすぐさま故郷のコロラド州デンバーへと向かった。行き先は「あの女」ではなく「義理の叔父」の方だった。3日後の4月25日に叔父の家に押し入り、家族4人を縛り上げた。
当初は殺すつもりはなかったという。金さえ奪えば生かすつもりだった。ところが、何が起こったのか、アーリーは叔父とその妻、そして15歳の娘を射殺した。17歳の息子だけはどうにか脱出に成功した。アーリーは彼を追ったが、射止めることは出来なかった。
間もなく逮捕されたアーリーは臆面もなく、このように語った。
「ああ、俺が殺した。何の呵責もなかったよ。俺にとって殺人は、照明を消すぐらいの意味でしかないんだよ」
起こるべくして起こった事件だった。犯行は予め告知されていた。抑止することは出来なかったのか? 残念でならない。
アーリーは3件の殺人で有罪となり、死刑を宣告された。ガス室で処刑されたのは1961年8月11日のことである。
(2011年5月18日/岸田裁月) |