1977年2月14日月曜日、ニューヨーク州ニューロッシェル。午前7時45分頃、一人の男が運送会社「ネプチューン・ワールドワイド・ムーヴィング・カンパニー」前にポインティアックGTOで乗りつけた。男の名はフレデリック・コーワン(33)。身長180cm、体重110kgの大男だ。重量挙げで鍛えた太い腕には髑髏の入れ墨が彫られている。ミリタリー・ジャケットに身を包み、ナチ親衛隊の黒いベレー帽を被るこの男は、4挺の自動拳銃とハンティングナイフで武装していた。おまけにHK41アサルトライフルをトランクから出して携えたのだから、勤めに来たのではないことは一目瞭然だ。
社内に足を踏み入れたコーワンは、ロビーで立ち話をするジョセフ・ヒックス(60)とフレッド・ホームズ(55)に出くわした。共に勤続20年以上の黒人従業員である。コーワンは迷うことなくライフルを発砲、両名は床に崩れ落ちた。
運転手控え室では、やはり黒人の運転手ジェイムス・グリーン(45)がその日のルートをチェックしていた。すると突然、銃声が響き渡った。
「逃げろ! フレディーが狂いやがった!」
叫び声を耳にして、グリーンもまた他の者と同様に反対側のドアに逃げ出した。その途端に背中を撃たれた。即死だった。以上の3名が狙われたのは、おそらく黒人だったからだ。コーワンは黒人とユダヤ人を嫌悪していたのだ。
1階事務室ではジョセフ・ルッソ(24)が配送リストの確認をしていた。すると騒ぎが聞こえた。おや、何だろう? 不審に思っていると、急に扉が開いて胸を撃たれた。彼はおそらく或る人物と間違われて撃たれたのだろう。即死ではなかったが、6週間後に死亡した。
一方、廊下で鉢合わせしたロナルド・カウエル(39)は幸運だった。彼はコーワンの親友だったのだ。彼は叫んだ。
「頼む! 撃たないでくれ!」
コーワンは頷いて、カウエルに伝言を託した。
「俺の母親に『ネプチューンには来るな』と伝えてくれ」
彼は母親が説得に呼び出されることを予期していたのだ。
なおも進軍するコーワンはこのように叫んでいたという。
「ノーマン・ビングは何処だ!?」
ノーマン・ビングとは2週間前に彼を停職にした上司である。「冷蔵庫を運べ」との命令に従わなかったからだ。何故にコーワンは従わなかったのか? 答えは簡単だ。ビングがユダヤ人だからだ。
「ビング! 聞こえるか!? お前を吹っ飛ばしてやるからな!」
先ほどのジョセフ・ルッソは、おそらくビングと間違われて撃たれたのである。迷惑な話である。
一方、当のビングはというと、机の下でガクガクブルブルと震えていたおかげで難を逃れた。その替わりと云ってはなんだが、インド人のエンジニア、パリヤラトゥ・ヴァルゲゼ(32)が不幸にもコーワンの目に留まって射殺された。彼は昨年アメリカに渡って来たばかりだった。
フレデリック・コーワンは1943年6月1月にこの町で生まれた。極めて模範的な少年だったという。おかしくなり始めたのは陸軍に入隊し、ドイツに赴任してからだ。どういうわけかヒトラーとナチスに心酔し、関連グッズを集め始めたのだ。いわばナチス・マニアである。酒場でも友達相手に「如何にナチスが素晴らしかったか」を熱弁し、自らを親衛隊の将校ラインハルト・ハイドリヒに準えていた。そのナチス関連の蔵書の一冊から、このような書き込みが見つかっている。
「黒人とユダヤ人ほど劣る者はいない。但し、奴らを守る警察は除く」
(Nothing is lower than black and Jewish people except the police who protect them)
こんな男でも周囲からは「ちょっと変わり者」程度にしか思われていなかった。まさかこんな大それたことを仕出かすとは思いも寄らなかったのだ。
警察が現場に到着したのは、最初の発砲から10分ほど後のことだった。その頃にはコーワンは2階の事務所に陣取り、籠城を決め込んでいた。窓ガラスに日差し除けのコーティングが施されていたことが彼に幸いした。つまり、外からは彼の姿は見えなかったのだ。
最初に駆けつけたのはアレン・マクラウド巡査(29)だった。この時点では状況は全く掴めていなかった。恐る恐る建物に近づいたところで頭を撃たれた。即死だった。彼を救出しようとした3人の巡査も被弾して重傷を負った。
間もなく狙撃者はどうやら2階にいるらしいことが判明したが、それでも警察は踏み込めないでいた。人質がいる可能性があるからだ。300人以上の武装警官が動員されたにも拘らず、手を拱いて見ているより他なかった。
正午頃、ニューロッシェル警察にコーワンからの電話があった。
「腹が減った。昼飯を届けてくれないか」
太々しい男である。電話を受けた警部補は訊ねた。
「どうやって届ければいいんだ?」
「ドアの前に置けばいい」
「建物の中にまだ30人のほどの従業員がいる。彼らは安全かね?」
コーワンは人質を取ってはいなかった。従業員たちは机の下やロッカーの中などに隠れていたのだ。
「俺が欲しいのは飯だけだ。今のところは誰にも危害を加えるつもりはない」
コーワンはまたこんなことも述べている。
「問題を起こして済まなかったと市長に伝えてくれ」
しかし、警部補が電話を引き延ばそうとすると、急に激昂して叫んだ。
「だから飯持って来いって云ってんだろ!」
そして、一方的に電話を切った。
その後、コーワンが予期していた通り、母親が呼ばれて説得に当たったが、彼からの返答はなかった。
事態が進展したのは午後2時23分になってからだ。沈黙を破って1発の銃声が鳴り響いたのだ。人質を撃ったのではないか? 現場は緊張に包まれた。間もなく意を決した3人の警官が建物に突入。そして、2階の事務所で頭が破裂したコーエンの遺体を発見した。先ほどの銃声はこれだったのだ。一巻の終わりを悟って自殺したのである。
(2009年3月18日/岸田裁月) |