ニューヨーク州クーパーズタウンの近郊でロードハウス(街道沿いの酒場兼宿屋)を経営しているエヴァ・クーが、ハリー・ライトの失踪を警察に届け出たのは1934年6月15日の夜のことである。50代のハリーは重いアル中患者で、彼の母親が死んで以来、4年に渡ってエヴァがその面倒を見ていた。結局、ハリーはその日のうちに、ロードハウス付近の溝で遺体となって発見された。全身に打撲傷があることから、酔ってフラフラと歩いていたところを車に撥ねられたものと思われた。
ところが、間もなく疑惑が持ち上がった。ハリーが死亡する直前に合計で3千ドルもの生命保険が掛けられていたことが発覚したのだ。その受取人が全てエヴァ・クーだったことから、彼女に疑いの眼が向けられたのである。
調べが進むに連れて、ハリーは別の場所で殺されて、その後に事故を装うために遺棄された可能性が高いことが判明した。解剖医によれば、致命傷は後頭部への鈍器による一撃で、車に轢かれたのは死後だったのだ。
やがてエヴァと友人のマーサ・クリフトがハリー殺しの容疑で逮捕された。取り調べにおいて「マーサが全てを白状した」とエヴァに鎌をかけたところ、彼女はこのように供述した。
「轢いたのはマーサよ。私じゃないわ。彼女はバックして3回も轢いたのよ」
つまり、彼女は殺したのは自分であることを暗に認めたのである。
マーサは司法取引に応じ、エヴァの裁判において検察側の証人になることに同意した。彼女により明かされた犯行の概要はこのようなものだった。
エヴァは当初、ハリーを車に乗せたまま崖から落として殺害するつもりだった。その後、それでは車がもったいないと思ったのか、エンジンをかけたままの車の中に放置して、一酸化炭素中毒による殺害を企てた。しかし、それでは不確実だということで、最終的に交通事故を偽装する方法に落ち着いた。
中古車を手に入れたエヴァは「一緒にチェリーの木を採りに行こうよ」とハリーを誘い、マーサと3人でクルムホルン・マウンテンへと向かった。やがて一行は今は使われていない古い農家に辿り着いた。殺害現場として予定されていた場所だ。3人は中に入って一服した。ハリーがマーサと話している隙に、エヴァは彼の後ろに回り、コートの下に隠していた木槌と取り出す。そして、ハリーの頭に一撃を喰らわせた。
その後、マーサが遺体を車で轢いて、事故を偽装していたところ、1台の車がこちらに近づいて来た。エヴァはマーサにバックするように指示し、遺体を車の下に隠した。
だから3回も轢いたのだ。
近づいて来た車に乗っていたのは、その農家の持ち主の夫人と子供たちだった。彼らはエヴァとしばし会話した後、その場から離れた。十分に遠くに離れたのを確認すると、エヴァは遺体を車で運び、ロードハウス付近の溝に遺棄した。そして、その足で警察に通報した次第である。エヴァは警察に向かう途中で、このように洩らしていたという。
「疲れたわ。今日の仕事はこれまでで一番ハードだったわね」
これに対してエヴァの弁護人はこのように主張した。
生命保険をかけたのは、医師がハリーの命は長くないと宣告したからだ。ハリーはエヴァへの感謝の気持ちから、自ら保険をかけたのだ。
ハリーの死因は自然死だった。エヴァが彼の遺体を轢いて事故死を偽装したのは、そうすれば保険金が倍額支払われるからだ。そうしてくれと望んだのは他ならぬハリー本人だった…。
確かに筋は通っている。しかし、自然死との主張は明らかに解剖結果と矛盾している。
かくして第1級殺人で有罪となったエヴァ・クーには死刑が云い渡されて、1935年6月27日に電気椅子により処刑された。
一方、司法取引に応じたマーサは第2級殺人で有罪となるに留まり、13年の刑が下された。
(2009年6月27日/岸田裁月) |