1928年7月9日、アルバータ州マンヴィルでの出来事である。午後8時30分頃、地元の高名な医師がヴァーノン・ブーハーと名乗る若者からのこのような電話を受けた。
「至急こちらまで来て頂けませんか? 大変なことが起きてしまったんです」
医師は早速、ブーハー家の農場に車で出向いた。家の外には電話の主が立っていた。医師は訊ねた。
「いったい何があったんだね?」
「母が…母が何者かに殺されました。兄もです」
居間では、母親のユニース・ブーハーが安楽椅子に座った状態で殺されていた。頭を数発撃たれていた。台所では、兄のフレデリック・ブーハーが殺されていた。やはり頭を撃たれていた。離れ家では、使用人のゲイブリエル・ゴロンビーが殺されていた。胸と頭を撃たれていた。納屋では、同じく使用人のビル・ロシクが殺されていた。腹と頭を撃たれていた。凶器はいずれも303口径のライフル銃だった。
聞き込みにより、同種のライフル銃が近くの農場から盗まれていたことが判明した。盗まれたのは事件直前の日曜日のことで、その際にヴァーノン・ブーハーの姿が付近で目撃されていた。
かくしてヴァーノンは7月17日に逮捕された。しかし、確たる証拠があるわけではない。凶器も発見されていない。そこで地元警察は犯罪学者のアドルフ・ラングスナー博士を招き、ヴァーノンと面会させることでようやく自白を引き出した。凶器のライフル銃を棄てた場所も判明した。事件は一件落着したかに思われた。
ところが、裁判では思うように行かなかった。ヴァーノンの弁護人が、被告が自白したのはラングスナー博士に催眠術をかけられていたからだと主張したのだ。これは事実だったようだ。しかし、自白を証拠から除いても、あらゆる状況証拠がヴァーノンの犯行であることも物語っていた。
かくして死刑を宣告されたヴァーノン・ブーハーは、1929年4月26日に絞首刑に処された。
ちなみに、犯行の動機は「母親に恋人を拒絶されたから」というなんとも幼稚なものだった。つまり、彼の目的は母親の殺害のみで、兄や使用人はとばっちりで殺されただけだったのだ。
(2011年1月4日/岸田裁月) |